村田龍一
獲得メダル | ||
---|---|---|
日本 | ||
柔道 | ||
嘉納杯 | ||
銅 | 2003 東京 | 81kg級 |
フランス国際 | ||
銅 | 2000 パリ | 81kg級 |
世界ジュニア | ||
銀 | 1996 ポルト | 78kg級 |
村田 龍一(むらた りゅういち、1976年8月27日 - )は、千葉県出身の日本の柔道家。現役時代は78kg級と81kg級の選手。身長は173cm[1]。
人物
[編集]旭中学から八千代松陰高校へ進むと、2年の時には全国高校選手権の団体戦で、エースである95kg超級の吉永喜史とともに活躍してチームを3位に押し上げた[2]。
1995年には日本大学へ進むと、1年の時には全日本ジュニアの78kg級で3位になった。2年の時にも全日本ジュニアで3位になった[1]。世界ジュニアでは決勝でフランスのセドリク・クラベリに大外刈で敗れた[1]。3年の時には優勝大会決勝の国士舘大学戦で勝利するなどして、チームの12年ぶりの優勝に貢献した[3]。4年の時には体重別81kg級で3位になった[1]。
1999年には平成管財の所属となると、実業個人選手権と講道館杯で優勝を飾った[1]。2000年の フランス国際では3位に入った。体重別に優勝すればシドニーオリンピック代表も有り得たが、背中のケガの影響などもあって決勝で大学の2年先輩である瀧本誠に体落の有効で敗れて代表にはなれなかった[4]。2001年にはハンガリー国際で優勝を飾るが、体重別と東アジア大会では3位だった。なお、所属が了徳寺学園職員に変更となった[1]。2002年には実業個人選手権で3年ぶり2度目の優勝を果たしたが、講道館杯では3位だった[1]。2003年には嘉納杯で3位、ロシア国際で2位、グルジア国際では優勝を飾るも、体重別では初戦で敗れた[1]。
引退後の2005年にはバルセロナオリンピック78kg級金メダリストの吉田秀彦が主宰する吉田道場に加わると、総合格闘技のPRIDEやDEEPにも参戦することになった[5]。総合格闘技では8勝3敗の成績を残した[6]。
主な戦績
[編集]78kg級での戦績
[編集]- 1994年 - 全国高校選手権 団体戦 3位
- 1995年 - 全日本ジュニア 3位
- 1996年 - 全日本ジュニア 3位
- 1996年 - 世界ジュニア 2位
- 1997年 - オーストリア国際 2位
- 1997年 - 優勝大会 優勝
81kg級での戦績
[編集]- 1998年 - 体重別 3位
- 1999年 - 実業個人選手権 優勝
- 1999年 - 講道館杯 優勝
- 2000年 - フランス国際 3位
- 2000年 - 体重別 2位
- 2001年 - ハンガリー国際 優勝
- 2001年 - 体重別 3位
- 2001年 - 東アジア大会 3位
- 2001年 - 実業個人選手権 3位
- 2002年 - 実業個人選手権 優勝
- 2002年 - 講道館杯 3位
- 2003年 - 嘉納杯 3位
- 2003年 - ロシア国際 2位
- 2003年 - グルジア国際 優勝
(出典[1]、JudoInside.com)。
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i 「平成14年度後期国際試合柔道強化選手」近代柔道 ベースボールマガジン社、2003年2月号
- ^ 「全国高等学校柔道選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1994年5月号
- ^ 「全日本学生柔道優勝大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、1997年11月号
- ^ 「全日本選抜柔道体重別選手権大会」近代柔道 ベースボールマガジン社、2000年5月号
- ^ [PRIDE 柔道強豪の小見川道大、村田龍一が吉田道場入り]
- ^ 日本の柔道エリートをMMAファイターに育てたら 数字で見る日本vs世界
外部リンク
[編集]- 村田龍一 - JudoInside.com のプロフィール
- 村田 龍一 - BoutReview