東宇和郡
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郡域
[編集]1878年(明治11年)に行政区画として発足した当時の郡域は、下記の区域にあたる。
歴史
[編集]郡発足までの沿革
[編集]知行 | 村数 | 村名 | |
---|---|---|---|
藩領 | 伊予宇和島藩 | 1町 61村 1浦 |
高山浦、田穂村、魚成村、男河内村、嘉喜尾村、下相村、土居村、古市村、川津南村、窪野村、遊子谷村、野井川村、惣川村、予子林村、坂石村、片川村、四郎谷村、長谷村、松渓村、白髭村、富野川村、高瀬村、平野村、蔵良村、中通川村、西村、栗木村、鎌田村、釜川村、阿下前石村、野村、明間村、下川村、皆田村、鬼窪村、卯之町、永長村、小原村、岩木村、郷内村、西山田村、山田村、小野田村、久枝村、伊賀上村、伊延村、岡山村、河内村、東多田村、大江村、加茂村、田苗真土村[1]、杢所村、清沢村、下松葉村、上松葉村、坂戸村、多野中村、常定寺村、新城村、明石村、稲生村、野田村[2] |
伊予吉田藩 | 1村 8浦 |
筋浦、花組浦、白浦、法華津浦、深浦、俵津浦、渡江浦、狩浜浦、高野子村 |
郡発足以降の沿革
[編集]- 明治11年(1878年)12月16日 - 郡区町村編制法の愛媛県での施行により、卯之町ほか1町62村9浦の区域に東宇和郡が発足。郡役所が卯之町に設置。
- 明治15年(1882年) - 筋浦・花組浦が白浦に合併。(1町62村7浦)
- 明治22年(1889年)12月15日 - 町村制の施行により、下記の町村が発足[3]。特記以外は現・西予市。(1町21村)
- 宇和町 ← 卯之町、鬼窪村、伊賀上村
- 多田村 ← 東多田村、河内村、伊延村、岡山村
- 中川村 ← 田苗真土村、大江村、加茂村、坂戸村、清沢村、杢所村
- 笠置村 ← 岩木村、郷内村、小原村
- 山田村 ← 西山田村、山田村
- 上宇和村 ← 久枝村、野田村、小野田村、永長村、上松葉村、下松葉村
- 下宇和村 ← 皆田村、下川村、明間村、稲生村
- 田之筋村 ← 新城村、常定寺村、多野中村、明石村
- 渓筋村 ← 白髭村、松渓村、長谷村、四郎谷村
- 中筋村 ← 高瀬村、富野川村、平野村、蔵良村
- 横林村 ← 予子林村(現・大洲市、西予市)、坂石村(現・西予市)
- 貝吹村 ← 西村(現・大洲市、西予市)、栗木村、鎌田村、中通川村(現・西予市)
- 惣川村(単独村制)
- 土居村 ← 土居村、窪野村、古市村、嘉喜尾村
- 遊子川村 ← 遊子谷村、野井川村
- 高川村 ← 高野子村、川津南村
- 魚成村 ← 魚成村、下相村、男河内村、田穂村
- 野村 ← 野村、阿下前石村、片川村、釜川村
- 俵津村(俵津浦が単独村制)
- 狩江村 ← 狩浜浦、渡江浦
- 高山村 ← 高山浦、田之浜浦[4]
- 玉津村 ← 法華津浦、深浦、白浦[飛地を除く]、北宇和郡河内村[一部](現・宇和島市)
- 白浦の一部が北宇和郡喜佐方村の一部となる。
- 明治30年(1897年)4月1日 - 郡制を施行。
- 大正3年(1914年)1月1日 - 渓筋村の一部(馬地)が野村に編入。
- 大正11年(1922年)
- 大正12年(1923年)4月1日 - 郡会が廃止。郡役所は存続。
- 大正15年(1926年)7月1日 - 郡役所が廃止。以降は地域区分名称となる。
- 昭和4年(1929年)12月1日 - 笠置村・山田村が合併して石城村が発足。(2町18村)
- 昭和18年(1943年)4月1日 - 惣川村が上浮穴郡浮穴村の一部(小屋)を編入。
- 昭和29年(1954年)3月31日(2町10村)
- 多田村・中川村・石城村・宇和町・田之筋村・下宇和村が合併し、改めて宇和町が発足。
- 遊子川村・土居村・高川村・魚成村が合併して黒瀬川村が発足。
- 昭和30年(1955年)
- 昭和33年(1958年)
- 昭和34年(1959年)4月1日 - 黒瀬川村が町制施行・改称して城川町となる。(4町)
- 平成16年(2004年)4月1日 - 明浜町・宇和町・野村町・城川町が西宇和郡三瓶町と合併して西予市が発足。同日東宇和郡消滅。
脚注
[編集]参考文献
[編集]- 「角川日本地名大辞典」編纂委員会 編『角川日本地名大辞典』 38 愛媛県、角川書店、1981年10月1日。ISBN 4040013808。
- 旧高旧領取調帳データベース
関連項目
[編集]先代 宇和郡 |
行政区の変遷 1878年 - 2004年 |
次代 (消滅) |