西寒川駅
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(東河原駅から転送)
西寒川駅 | |
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廃止一週間前、鉄道ファン達で賑わう西寒川駅 (1984年3月24日) | |
にしさむかわ Nishi-Samukawa | |
◄寒川 (1.5 km) | |
所在地 | 神奈川県高座郡寒川町一之宮 |
所属事業者 | 日本国有鉄道 |
所属路線 | 相模線 |
キロ程 | 1.5[1] km(寒川起点) |
電報略号 | ニム |
駅構造 | 地上駅 |
ホーム | 1面1線 |
開業年月日 | 1923年(大正12年)2月5日 |
廃止年月日 | 1984年(昭和59年)3月31日 |
備考 | 路線廃止に伴う廃駅 |
西寒川駅(にしさむかわえき)は、かつて神奈川県高座郡寒川町一之宮にあった日本国有鉄道(国鉄)相模線寒川支線の駅である。1984年に寒川支線の廃止[2]に伴い廃止された[3]。寒川支線は、国鉄分割民営化を前に廃止された旅客路線のうち首都圏で唯一の廃線であった[1]。
当駅は開業以来、駅名を3回変更している。
廃止時の駅構造
[編集]単式ホーム1面1線の地上駅であった。廃止当時は無人駅で、改札口の上に小さな屋根があるだけで[1]駅舎も持たなかった。
廃止直前の列車の発着
[編集]茅ケ崎駅発着の1日4往復(8時台に1往復、16時台から19時台にかけて3往復)のみであった[1]。
当路線の廃止が報道されたことで一躍有名となり、廃止間際から当日にかけて近県より多くの鉄道ファンで駅周辺が賑わった[4]。
歴史
[編集]- 1923年(大正12年)
- 1939年(昭和14年)
- 10月1日 - 前年に昭和産業一之宮工場が建設されたことに伴い、昭和産業駅に改称。
- 1940年(昭和15年)
- 4月20日 - 旅客営業開始。
- 1942年(昭和17年)
- 10月30日 - 日本海軍による昭和産業一之宮工場の買収(海軍技術研究所を経て、相模海軍工廠となる)に伴い、四之宮口駅に改称。
- 1944年(昭和19年)
- 1946年(昭和21年)頃 - 旅客営業が行われなくなる。
- 1954年(昭和29年)
- 10月1日 - 旅客営業を正式に廃止[5]。
- 1960年(昭和35年)
- 1965年(昭和40年)
- 10月1日 - 営業範囲を「旅客及び同停車場接続専用線発着貨物」から「旅客及び同停車場接続専用線発着車扱貨物」へ改正[8]。
- 1970年(昭和45年)
- 7月10日 - 貨物取扱を廃止し、営業範囲を「旅客」へ改正[9]。
- 1984年(昭和59年)
駅の周辺と跡地
[編集]→「一之宮公園」も参照
寒川駅からの支線は、寒川神社(相模国一宮)参道近くで相模線本線と分かれていた[1]。寒川支線の跡地は、本線からの分岐点からのほぼ全てが「一之宮緑道」として整備されている。一部区間には線路も残され、車輪などが展示されている。また、一部のレールは西暦ではなく皇紀での刻印がなされている[10]。
西寒川駅の跡は「八角広場」という小さな公園になっており、線路が一部残されている。当地には、当駅と相模海軍工廠跡の記念碑がある。
2002年に旧相模海軍工廠で製造されたと思われる化学兵器が発掘され、話題になった。
隣の駅
[編集]- 日本国有鉄道
- 相模支線
- 寒川駅 - 西寒川駅
アクセス
[編集]脚注
[編集]- ^ a b c d e f 原武史:【歴史のダイヤグラム】廃止前の西寒川駅を思う『朝日新聞』土曜朝刊別刷り「be」2020年10月17日(4面)2020年10月28日閲覧
- ^ 1984年(昭和59年)3月22日日本国有鉄道公示第215号「運輸営業の廃止」
- ^ a b 1984年(昭和59年)3月22日日本国有鉄道公示第216号「駅の廃止」
- ^ 『広報さむかわ』第293号(昭和59年6月)
- ^ 1954年(昭和29年)9月29日日本国有鉄道公示第285号「相模線寒川・西寒川の旅客運輸営業廃止」
- ^ 1960年(昭和35年)11月12日日本国有鉄道公示第572号「相模線西寒川停車場において旅客の取扱を開始する件」
- ^ 「通報 ●相模線西寒川駅の旅客の取扱開始について(営業局)」『鉄道公報』日本国有鉄道総裁室文書課、1960年11月12日、2面。
- ^ 1965年(昭和40年)9月29日日本国有鉄道公示第571号「停車場の営業範囲を改正」
- ^ 1970年(昭和45年)7月9日日本国有鉄道公示第276号「停車場の営業範囲の改正」
- ^ “思い出の西寒川支線・西寒川駅跡”. 一般社団法人 寒川町観光協会. 2018年8月4日閲覧。
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 想い出の西寒川支線・西寒川駅跡(寒川町観光協会ホームページ)