松下道蔵
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松下 道蔵[1](まつした みちぞう、1888年(明治21年)10月8日[2][3] - 1961年(昭和36年)10月25日[2][3])は、日本の会社役員、政治家。鳥取県西伯郡境町長(第16代)[2]。境町会議員。
経歴
[編集]鳥取県西伯郡境町栄町(現境港市)出身。中学校では学術優秀で、常に各級の首席を占める[4]。1941年6月から同年8月まで境町長をつとめる[2]。また岡田回漕店[1]、境港合同運送[5]各取締役、境實業新報監査役[5]をつとめる。戦後、公職追放を受ける[6]。
人物
[編集]松下道蔵について、『商工資産信用録 第29回』には「職業・石油、金物、調査年月・1928年7月、正身身代・P、信用程度・C」とある[7]。
『商工資産信用録 第33回 中国四国版』には「職業・石油、金物、調査年月・1932年7月、正身身代・P、信用程度・B」とある[8]。
『商工資産信用録 第43回』には「職業・石油、金物、調査年月・1941年3月、正身身代・P、年扱高又は年収・T、信用程度・Cc」とある[9]。
「境町の風習」、「八幡通りの変遷」を絵付きで書き残す[2]。蔵書も多く、読書家であった[2]。
家族
[編集]父松下哲成(鉄、石油商[4])は、第8代境町長。妻は岡田汽船社長岡田庄作の二女[10]。養子がいる[2]。
脚注
[編集]- ^ a b 『日本全国諸会社役員録 第43回』鳥取県 下編390頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月10日閲覧。
- ^ a b c d e f g 『境港市史 上』540頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月9日閲覧。
- ^ a b “松下道蔵”. とっとりデジタルコレクション. 2022年6月13日閲覧。
- ^ a b 『島根鳥取名士列伝 下』107 - 109頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月10日閲覧。
- ^ a b 『官報 1931年07月04日』官報 第1353号 5頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月5日閲覧。
- ^ 『公職追放に関する覚書該当者名簿』336頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2023年3月7日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第29回』鳥取県ま之部12頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月15日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』鳥取県ま之部16頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2022年12月1日閲覧。
- ^ 『商工資産信用録 第43回』鳥取県マ之部19頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2024年5月9日閲覧。
- ^ 『人事興信録 第8版』オ183頁(国立国会図書館デジタルコレクション)。2020年11月10日閲覧。
参考文献
[編集]- 深田豊市編『島根鳥取名士列伝 下』博進館、1903 - 1906年。
- 人事興信所編『人事興信録 第8版』人事興信所、1928年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第29回』商業興信所、1928年。
- 大蔵省印刷局編『官報 1931年07月04日』日本マイクロ写真、1931年。
- 『商工資産信用録 第33回 中国四国版』商業興信所、1932年。
- 商業興信所編『日本全国諸会社役員録 第43回』商業興信所、1935年。
- 商業興信所編『商工資産信用録 第43回』商業興信所、1941 - 1943年。
- 総理庁官房監査課編『公職追放に関する覚書該当者名簿』日比谷政経会、1949年。
- 『境港市史 上』境港市、1986年。