松山茂助
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松山 茂助(まつやま もすけ、1890年12月2日 - 1973年6月25日)は日本の醸造学者、実業家。
人物・来歴
[編集]長野県下水内郡飯山町(現飯山市)の酒造業者に生まれる。旧制飯山中学校(後の長野県飯山北高等学校、統合により現在は長野県飯山高等学校)を経て北海道帝国大学農学部卒業。恵迪寮OBで、1969年度寮歌『藻岩の緑』の作詞を担当。ビール醸造学を修めて1919年日本麦酒鉱泉に入社。カタラーゼに関する研究で農学博士号を得る。研究部長となりドイツに留学。1961年日本麦酒(サッポロビール)社長に就任。1968年正月、歌会始の召人となる。歌集に「川」[1]がある。
著書
[編集]脚注
[編集]- ^ “松山茂助 まつやま-もすけ”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. コトバンク. 2014年10月20日閲覧。