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松平信有

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
松平 信有
時代 江戸時代中期
生誕 享保16年9月10日1731年10月10日
死没 寛政5年6月19日1793年7月26日
改名 徳川豊松(幼名)、松平信有
別名 勘解由(通称
戒名 松岳院殿泰得恵秀大居士
墓所 東京都新宿区富久町の自證院
官位 従四位下侍従民部大輔左兵衛督
幕府 江戸幕府
上野吉井藩
氏族 紀伊徳川家鷹司松平家
父母 徳川宗直、入江氏
松平信友
兄弟 雲松院、友姫、徳川宗将桂香院
徳川治貞、頼央、信有、富千代、
内藤貞幹、賢姫、達姫、寿子、薫姫ら6男10女
松平長孝
信成房矩房堅、辰五郎、繁次
信明
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松平 信有(まつだいら のぶあり)は、上野国吉井藩3代藩主。鷹司松平家5代当主。

生涯

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享保16年(1731年)、和歌山藩徳川宗直の四男として生まれる。

宝暦10年(1760年)4月24日、養父松平信友の死去により、その養嗣子として跡を継いだ。同年7月18日、従四位下・侍従・民部大輔に叙任する。

明和8年(1771年)12月4日、養嗣子の信明(信友の実子)に家督を譲って隠居した。寛政5年(1793年)6月19日、死去。享年63。

系譜

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父母

正室

子女

養子