松平利長
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時代 | 戦国時代 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 永禄3年(1560年) |
別名 | 千熊(幼名)、彦四郎(通称) |
戒名 | 龍徳院殿奇春樹祥大居士 |
墓所 | 法林山光忠寺(愛知県蒲郡市西浦町) |
主君 | 松平広忠 |
氏族 | 藤井松平家 |
父母 | 父:松平長親 |
兄弟 | 信忠、親盛、信定、義春、阿部忠親、利長 |
子 | 信一 |
松平 利長(まつだいら としなが)は、戦国時代の武将。松平宗家5代当主・松平長親の六男。通称は彦四郎。三河国碧海郡藤井城(現在の愛知県安城市藤井町)を居城とし、藤井松平家初代となった。
略歴
[編集]松平長親は、勢力を拡大して安定をはかるため、一族を福釜、桜井、藤井などに配置した。利長は藤井の地を与えられ、南の西条、東条吉良家に備えた。
天文9年(1540年)、三河安祥城が織田信秀軍に攻撃された。城主・松平長家は劣勢となり、松平広忠の命により、松平(源次郎)信康、松井忠次、松平(甚六郎)康忠とともに援兵として城を守る。城主・長家をはじめ、信康、康忠が戦死する中、忠次とともによく防戦して、織田軍を撃退することに成功した(安城合戦)。
永禄3年(1560年)5月、尾張丸根城攻めで戦死した(但し書状等で永禄3年以降の生存が確認されており、戦死が誤りと言う説もある)。
享年不詳。墓所は愛知県蒲郡市西浦町の法林山光忠寺。法名は「龍徳院殿奇春樹祥大居士」。
山形県上山市の月岡神社は利長・信一父子を祀るために明治10年(1877年)に建てられたとされる。
参考文献
[編集]- 『寛政重修諸家譜 第一輯』巻第七(国民図書、1922年)
- 『家康と松平一族』 安城市歴史博物館編集(2021年発行) P.58~59藤井家