松村菊勇
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松村 菊勇(まつむら きくお、1874年(明治7年)10月23日 - 1941年(昭和16年)4月4日)は、日本の海軍軍人、実業家。最終階級は海軍中将。石川島造船会社社長。
経歴
[編集]佐賀県出身。松村安種海軍少佐の二男として生まれる。攻玉社を経て、1896年12月、海軍兵学校(23期)を卒業し、1898年1月、海軍少尉任官。「和泉」航海長、常備艦隊参謀を経て、日露戦争には第1艦隊参謀として参戦したが、緒戦の旅順口攻撃において負傷し後送される。その後復帰して大本営付から「笠置」砲術長になり、日本海海戦に参戦した。「松島」砲術長を経て、1907年12月、海軍大学校(甲種5期)を卒業した。
軍令部副官、フランス駐在、「春日」副長、海大教官、第1艦隊参謀、第1南遣枝隊参謀、「筑摩」艦長心得、「笠置」艦長心得、フランス大使館付武官、「常磐」「比叡」の各艦長、佐世保鎮守府付などを歴任し、1920年12月、海軍少将に進級。
第2艦隊参謀長、海軍教育本部第1部長、軍令部出仕、第5戦隊司令官、鎮海要港部司令官などを経て、1924年12月、海軍中将となり、軍令部出仕を経て、1925年11月、待命となり翌月に予備役編入となった。
1925年12月、石川島造船会社に入社、同常務、専務を経て、1933年4月から1941年1月まで社長を勤めた。墓所は多磨霊園。
栄典
[編集]- 位階
- 勲章等