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松浦市立福島小学校

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
松浦市立福島小学校

2024年(令和4年)10月撮影。校舎は解体され、更地となっている。
地図北緯33度22分2.3秒 東経129度49分10.0秒 / 北緯33.367306度 東経129.819444度 / 33.367306; 129.819444座標: 北緯33度22分2.3秒 東経129度49分10.0秒 / 北緯33.367306度 東経129.819444度 / 33.367306; 129.819444
過去の名称 塩浜小学校
公立初等塩浜小学校
簡易塩浜小学校
尋常福島小学校
福島尋常小学校
福島尋常高等小学校
福島国民学校
福島村立福島小学校
福島町立福島小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 松浦市
設立年月日 1874年(明治7年)10月22日
創立記念日 10月22日
閉校年月日 2016年(平成28年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 848-0403
長崎県松浦市福島町塩浜免2449番2号
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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松浦市立福島小学校(まつうらしりつ ふくしましょうがっこう、Matsuura City Fukushima Elementary School)は、長崎県松浦市福島町塩浜免にあった公立小学校。略称は「福小」(ふくしょう)。

2016年平成28年)3月末に松浦市立養源小学校と統合の上、松浦市立福島養源小学校が新設された。

概要

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歴史
1874年明治7年)に「塩浜小学校」として創立。2014年(平成26年)には創立140周年を迎えた。
校章
1957年(昭和32年)制定。を図案化したものと花弁の絵を組み合わせたものを背景にして、中央に「福小」の文字(縦書き)を置いている。
校歌
1957年(昭和32年)制定。歌詞は3番まであり、各番に校名の「福島」が登場する。
校区
「長崎県松浦市福島町」の後に「塩浜免、浅谷免、端免、喜内瀬免」が続く地域であった。中学校区は松浦市立福島中学校

沿革

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  • 1872年(明治5年)- 学制が頒布される。
  • 1874年(明治7年)10月22日 - 第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡の小学校として「塩浜小学校」が創立。
    • 福島村423番戸の浦役所跡を校舎とする。
    • 創立当初の生徒数は5名、訓導(教諭)に補坂本荘二1名。
  • 1878年(明治11年)
    • 2月23日 - 塩浜免榎(通称:猫山)に校舎が完成し移転を完了。
    • 4月 - 郡制の施行により、北松浦郡に属することとなる。
  • 1884年(明治17年)8月 - 養原[1]小学校を統合し、養原[1]分校とする。
  • 1885年(明治18年)11月1日 - 志佐学区の小学校として「公立初等塩浜小学校」に改称。
  • 1886年(明治19年)4月10日 - 小学校令の施行により、「簡易塩浜小学校」に改称。養原分校が分離し、簡易養原小学校として独立。
  • 1887年(明治20年)2月 - 尋常科(修業年限4年)を設置の上、「尋常福島小学校」に改称。
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制の施行により、福島村立の小学校となる。
  • 1893年(明治26年)1月 - 「福島尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更する)。
  • 1894年(明治27年)5月10日 - 白土に分教場を開設。
  • 1898年(明治31年)7月8日 - 養原[1]尋常小学校を統合し、養原[1]分校とする。
  • 1901年(明治34年)
    • 4月1日 - 養原[1]分校が分離し、養源尋常小学校として独立(この時、「原」の代わりに「源」が使用されるようになった)。
    • 10月27日 - 新校舎が完成。
  • 1902年(明治35年)4月 - 高等科を併置し「福島尋常高等小学校」に改称(尋常科4年・高等科4年)。
  • 1904年(明治37年)4月6日 - 白土分教場を喜内瀬免野頭地番253に移転し、「喜内瀬分教場」に改称。
  • 1906年(明治39年)8月28日 - 福島農業補習学校を併設。
  • 1907年(明治40年)2月 - 校舎を増築。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長される(尋常科6年・高等科2年)。
    • 旧高等科1年を尋常科5年、旧高等科2年を尋常科6年、旧高等科3年を高等科1年、旧高等科4年を高等科2年に振り替える。
  • 1911年(明治44年)10月22日 - この年以降、10月22日を創立記念日とする。
  • 1914年大正3年)4月 - 炭鉱の発展で児童数が急激に増加。教室が不足し、二部授業を実施して急場をしのぐ。
  • 1916年(大正5年)10月 - 校舎を増築し、二部授業を解消。
  • 1925年(大正14年)- 校舎を増築。
  • 1935年(昭和10年)- 青年学校令の施行により、併設の福島農業補習学校が「福島青年学校」に改称。
  • 1941年(昭和16年)
    • この年 - 沖ノ山炭鉱が休止となり、児童数が急激に減少する。これに伴い、日の浦仮校舎を廃止する。
    • 4月1日 - 国民学校令の施行により、「福島国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1943年(昭和18年)- 講堂・裁縫室を増築。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「福島村立福島小学校」に改称。喜内瀬分教場を「喜内瀬分校」に改める。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「福島村立福島中学校福島部[2]」(新制中学校)が発足。小学校に併設される。
  • 1948年(昭和23年)10月8日 - PTAが発足。
  • 1951年(昭和26年)12月1日 - 町制施行により、「福島町立福島小学校」に改称。
  • 1953年(昭和28年)
    • 6月 - 大水害により床上浸水となる。運動場が水没。
    • 10月3日 - 塩浜地区鉱害復旧事業の一環として第一校舎のかさ上げを行う。
  • 1955年(昭和30年)
    • 3月8日 - 全校舎のかさ上げを完了。
    • 4月11日 - 福島町立福島中学校の統合[3]新校舎(鉄筋コンクリート造)が完成。
    • 7月4日 - 学校給食を開始。
    • 12月20日 - 完全給食を実施。
  • 1957年(昭和32年)11月30日 - 校歌と校旗を制定。
  • 1959年(昭和34年)4月 - 児童数が最大の1415名(28学級)を記録する。
  • 1960年(昭和35年)3月31日 - 喜内瀬分校を廃止し、本校に統合。
旧・福島小学校跡地に残る記念碑など
旧・福島小学校跡地に残る創立100周年記念碑

アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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脚注

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  1. ^ a b c d e の文字が使用されるようになるのは1901年(明治34年)。
  2. ^ 福島村立養源小学校に福島村立福島中学校養源部が設置された。
  3. ^ 小学校2校に併設されていた福島部と養源部の統合。
  4. ^ 福島養源小学校の校章が決まりました - 松浦市ウェブサイト

参考文献

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  • 「福島町郷土誌」(1980年(昭和55年)3月31日、福島町)p.724 -

関連事項

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