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松浦市立養源小学校

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松浦市立養源小学校
地図北緯33度23分59.7秒 東経129度49分4.6秒 / 北緯33.399917度 東経129.817944度 / 33.399917; 129.817944座標: 北緯33度23分59.7秒 東経129度49分4.6秒 / 北緯33.399917度 東経129.817944度 / 33.399917; 129.817944
過去の名称 原小学校
養原小学校
塩浜小学校養原分校
公立初等塩浜小学校養原分校
簡易養原小学校
尋常養原小学校
養原尋常小学校
福島尋常小学校養原分校
養源尋常小学校
福島尋常高等小学校
養源国民学校
福島村立養源小学校
福島町立養源小学校
国公私立の別 公立学校
設置者 松浦市
設立年月日 1874年(明治7年)10月3日
創立記念日 10月3日
閉校年月日 2016年(平成28年)3月31日
共学・別学 男女共学
学期 3学期制
所在地 848-0406
長崎県松浦市福島町原免1051番地
ウィキポータル 教育
ウィキプロジェクト 学校
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松浦市立養源小学校(まつうらしりつ ようげんしょうがっこう、Matsuura City Yogen Elementary School)は、長崎県松浦市福島町原免にあった公立小学校。略称は「養小」(ようしょう)。

2016年平成28年)3月末に松浦市立福島小学校と統合の上、松浦市立福島養源小学校が新設された。

概要

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歴史
1874年明治7年)に「原小学校」として創立。翌1875年(明治8年)に「養小学校」に改称。漢字表記が現在の「養」になったのは1901年(明治34年)。2014年(平成26年)には創立140周年を迎えた。
校章
1959年(昭和34年)制定。花弁を2枚重ねたものを背景にして、中央に校名の「養」の文字を置いている。
校歌
1958年(昭和33年)制定。作詞は島内八郎、作曲は山口健作による。歌詞は3番まであり、各番に校名の「養源」が登場する。
校区
「長崎県松浦市福島町」の後に「土谷免、原免、里免、鍋串免」が続く地域であった。中学校区は松浦市立福島中学校

沿革

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  • 1872年(明治5年)- 学制が頒布される。
  • 1874年(明治7年)10月3日 - 第五大学区長崎県管下第四中学区松浦郡の小学校として「原小学校」が創立。
    • 原免越水の庄屋座敷を校舎とする。
    • 創立当初の児童数は男子13名。今福村の豊村重郎が教鞭をとる。
  • 1875年(明治8年)- 「養原小学校」に改称。
  • 1878年(明治11年)4月 - 郡制の施行により、北松浦郡に属することとなる。
  • 1879年(明治12年)- 校舎を増築。
  • 1884年(明治17年)8月 - 統合により、「塩浜小学校 養原分校」となる。
  • 1885年(明治18年)11月1日 - 志佐学区の小学校として「公立初等塩浜小学校 養原分校」に改称。
  • 1886年(明治19年)- 小学校令の施行により、塩浜小学校から分離し、「簡易養原小学校」として独立。
  • 1887年(明治20年)3月10日 - 尋常科を設置の上、「尋常養原小学校」に改称。
  • 1888年(明治21年)1月 - 校長が配置されるようになる。初代校長は福井清平。
  • 1893年(明治26年)1月 - 「養原尋常小学校」に改称(「尋常」の位置を変更)。
  • 1898年(明治31年)7月 - 福島尋常小学校に統合され、「福島尋常小学校 養原分校」となる。
  • 1901年(明治34年)4月 - 福島尋常小学校から分離し、「養源尋常小学校」として独立。この時から「養」の表記が使用されるようになった。
  • 1903年(明治36年)3月 - 現在地に移転。
  • 1906年(明治39年)10月 - 福島農業補習学校分教室が併設される。
  • 1908年(明治41年)4月 - 小学校令の改正により、義務教育年限(尋常科の修業年限)が4年から6年に延長されたため、尋常科5年を設置。
  • 1909年(明治42年)4月 - 前年の義務教育年限延長により児童数が増加したため、校舎を増築。尋常科6年を設置。
  • 1910年(明治43年)10月3日 - 以降、この日を創立記念日とする。
  • 1911年(明治44年)10月3日 - 校友会を設立。
  • 1918年大正7年)4月 - 高等科を併置し「養源尋常高等小学校」に改称。
  • 1919年(大正8年)- 校舎を増築。
  • 1921年(大正10年)2月 - 運動場を拡張。
  • 1926年(大正15年) - 児童数の増加で今山神社境内の回廊を仮教室(2教室)とする。
  • 1929年(昭和4年)4月 - 仮教室を廃止。
  • 1935年(昭和10年)
  • 1938年(昭和13年)4月 - 校舎1棟(4教室)を増築。
  • 1941年(昭和16年)4月1日 - 国民学校令の施行により、「養源国民学校」に改称。尋常科を初等科に改める(初等科6年・高等科2年)。
  • 1947年(昭和22年)4月1日 - 学制改革(六・三制の実施)が行われる。
    • 国民学校の初等科が改組され、「福島村立養源小学校」に改称。
    • 国民学校の高等科と青年学校の普通科が改組され、「福島村立福島中学校養源部[1]」(新制中学校)が発足。小学校に併設される。
      • 校舎が不足し、原免公会堂を仮校舎として使用。小学1年生と中学生で二部授業を実施。
  • 1950年(昭和25年)
鉄筋校舎
木造校舎
記念碑

舞台となった作品

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アクセス

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最寄りのバス停
最寄りの国道・県道

周辺

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  • 原稲荷神社

脚注

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  1. ^ 福島村立福島小学校に福島村立福島中学校福島部が設置された。
  2. ^ 小学校2校に併設されていた福島部と養源部の統合。
  3. ^ 福島養源小学校の校章が決まりました - 松浦市ウェブサイト

参考文献

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  • 「福島町郷土誌」(1980年(昭和55年)3月31日、福島町)p.744 -

関連事項

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