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林就里

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
林就里
時代 江戸時代初期
生誕 慶長17年(1612年
死没 寛文4年12月18日1665年2月2日
別名 通称:与次→吉兵衛尉
官位 肥前守
主君 毛利秀就綱広
長州藩
氏族 藤原北家隆家流 菊池氏庶流林氏
父母 父:林元直、母:周布元盛の娘
志道就兼の娘
なし
養子:善政(叔父・林元之の嫡男)
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林 就里(はやし なりさと)は、江戸時代初期の武士毛利氏家臣で長州藩士。知行は1113石6斗。父は林元直

生涯

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慶長17年(1612年)、長州藩士・林元直の子として生まれる。元和3年(1617年10月18日毛利秀就加冠を受けて元服。「就」の偏諱を与えられて、「就里」と名乗った。

元和9年(1623年8月22日に父・元直が37歳で死去したため、翌年の元和10年(1624年3月13日に就里が家督と知行[1]を相続し、以後、秀就、綱広の2代に仕える。

寛永3年(1626年12月13日に「吉兵衛尉」の官途名を、正保4年(1647年1月14日に「肥前守」の受領名を秀就から与えられた。

寛文4年(1664年12月18日に53歳で死去。就里には実子がいなかったため、叔父・元之の嫡男である善政が養子として後を継いだ。

脚注

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  1. ^ 周防国都濃郡の所々における887石5斗余り、周防国吉敷郡深野村(現・山口市)174石1斗8升、長門国厚狭郡鴨庄(現・山陽小野田市)51石8斗9升。合計1113石6斗。

参考文献

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