林就里
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時代 | 江戸時代初期 |
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生誕 | 慶長17年(1612年) |
死没 | 寛文4年12月18日(1665年2月2日) |
別名 | 通称:与次→吉兵衛尉 |
官位 | 肥前守 |
主君 | 毛利秀就→綱広 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家隆家流 菊池氏庶流林氏 |
父母 | 父:林元直、母:周布元盛の娘 |
妻 | 志道就兼の娘 |
子 |
なし 養子:善政(叔父・林元之の嫡男) |
林 就里(はやし なりさと)は、江戸時代初期の武士。毛利氏家臣で長州藩士。知行は1113石6斗。父は林元直。
生涯
[編集]慶長17年(1612年)、長州藩士・林元直の子として生まれる。元和3年(1617年)10月18日に毛利秀就の加冠を受けて元服。「就」の偏諱を与えられて、「就里」と名乗った。
元和9年(1623年)8月22日に父・元直が37歳で死去したため、翌年の元和10年(1624年)3月13日に就里が家督と知行[1]を相続し、以後、秀就、綱広の2代に仕える。
寛永3年(1626年)12月13日に「吉兵衛尉」の官途名を、正保4年(1647年)1月14日に「肥前守」の受領名を秀就から与えられた。
寛文4年(1664年)12月18日に53歳で死去。就里には実子がいなかったため、叔父・元之の嫡男である善政が養子として後を継いだ。