林元直
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時代 | 安土桃山時代 - 江戸時代初期 |
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生誕 | 天正15年(1587年) |
死没 | 元和9年8月22日(1623年9月16日) |
別名 | 与次(通称) |
官位 | 木工允 |
主君 | 毛利輝元→秀就 |
藩 | 長州藩 |
氏族 | 藤原北家隆家流 菊池氏庶流林氏 |
父母 | 父:林元善、母:児玉元貫の娘 |
兄弟 | 元直、元由、元之、女(小幡就里室) |
妻 | 松菊(周布元盛の娘) |
子 | 就里、就直 |
林 元直(はやし もとなお)は、安土桃山時代から江戸時代初期にかけての武将。毛利氏家臣で長州藩士。知行は1113石6斗。父は林元善。
生涯
[編集]天正15年(1587年)、毛利氏家臣である林元善の子として生まれる。慶長2年(1597年)3月7日に毛利輝元の加冠を受けて元服。「元」の偏諱を与えられて、「元直」と名乗った。
慶長5年(1600年)の関ヶ原の戦いの後に毛利氏が防長2ヶ国に減封されると、元直も周防国へ移って毛利秀就に仕えた。
慶長14年(1609年)12月6日に父・元善が死去したため、同年12月16日に元直が家督と知行[1]を継ぎ、輝元から「木工允」の官途名を与えられた。なお、同日には弟の元由に200石の地が分知され、元之にかつて祖父・就長が知行していた120石が与えられている。
元和9年(1623年)8月22日に37歳で死去。翌年の元和10年(1624年)3月13日に子の就里が後を継いだ。