柳原均光
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柳原 均光(やなぎわら ただみつ、明和9年6月8日(1772年7月8日) - 文化9年3月13日(1812年4月24日))は、江戸時代後期の公卿。柳原家18代当主。大正天皇の高祖父。父は、柳原紀光。母は勧修寺道子(勧修寺顕道の娘)。柳原前光・愛子(大正天皇生母)兄妹は孫、柳原義光・柳原白蓮異母兄妹と大正天皇は曾孫にあたる。寛政11年3月16日(1799年4月20日)に参議に任じられた[1][2]。天明4年から享和4年にかけて柳原均光日次記を記した[3]。正二位・権大納言。
血縁
[編集]脚注
[編集]- ^ “柳原家(名家) - Reichsarchiv ~世界帝王事典~”. Reichsarchiv ~世界帝王事典~. 2022年12月12日閲覧。
- ^ “柳原〔名家〕-公卿類別譜(公家の歴史)”. geocity1.com. 2022年12月12日閲覧。
- ^ 柳原均光日次記 (天明4年―享和4年(有欠)) - 書陵部所蔵資料目録・画像公開システム
関連項目
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大正天皇の系譜 |
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