柴田博之 (陸上選手)
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選手情報 | ||||
国籍 | 日本 | |||
競技 | 跳躍競技 | |||
種目 | 走幅跳 | |||
所属 | 洛南高等学校教員 | |||
大学 | 天理大学 | |||
生年月日 | 1963年4月26日(61歳) | |||
出身地 | 京都府城陽市 | |||
身長 | 170cm | |||
引退 | 1992年 | |||
成績 | ||||
オリンピック | 走幅跳:予選落ち (1988年) | |||
国内大会決勝 |
日本選手権 走幅跳:優勝 (1988年・1989年) | |||
自己ベスト | ||||
走幅跳 | 8m06 (1988年) | |||
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柴田 博之(しばた ひろゆき、1963年4月26日[1] - )は、日本の元陸上競技選手、指導者。専門は走幅跳。現在は洛南高等学校の教員で、同校陸上部監督。
京都府城陽市出身[2]。妻は元400m走日本記録保持者の柴田こずゑ[3]。
経歴
[編集]城陽市立城陽中学校[1]時代に陸上競技に出会い[4]、走高跳の選手として活躍。洛南高等学校進学後は走幅跳に転向し、インターハイ2位の実績を残す。
天理大学に進学し、4年生時に全日本インカレで優勝。卒業後は母校・洛南高等学校の教員になりながら、現役を続行。1988年の日本選手権で初優勝し、同年のソウルオリンピックの男子走幅跳の日本代表に選出された。
1992年に選手を引退し、以降、洛南高等学校陸上部での指導に専念している[1][2]。柴田が監督を務める陸上部は、2012年から幾度もインターハイ総合優勝を飾っており、同校は陸上の名門校として知られている[5]。柴田自身はスプリントの選手育成で名を馳せており[6]、教え子に、日本人初の100m走9秒台を記録した桐生祥秀らがいる[7]。
出演
[編集]映像商品
[編集]- 洛南高校 柴田監督「走幅跳指導のコンセプト」~全習法からひも解く、指導の切り口と分習法~(2014年6月、ジャパンライム)
- ラクナンメソッド~力の伝達、そしてトップスピードへ~(2016年、ティアンドエイチ)
著書
[編集]- 身になる練習法 陸上競技 走跳投に必要なトップスピードを高める練習(2017年6月25日、ベースボール・マガジン社、ISBN 978-4583110738)
脚注
[編集]- ^ a b c “身になる練習法 陸上競技 走投跳に必要なトップスピードを高める練習 柴田博之/著”. ベースボール・マガジン社WEB. 2020年3月6日閲覧。
- ^ a b “柴田博之|プロフィール”. HMV&BOOKS online. 2020年3月6日閲覧。
- ^ 寺田辰朗 (2004年5月). “続・寺田的陸上日記”. 2020年3月6日閲覧。
- ^ “「夢を追って」柴田先生講演会”. 京都府教育委員会 (2009年3月15日). 2020年3月6日閲覧。
- ^ “名門洛南で体罰 顧問を懲戒処分”. 日刊スポーツ. (2013年2月15日) 2020年3月6日閲覧。
- ^ “洛南高校 柴田監督「走幅跳指導のコンセプト」~全習法からひも解く、指導の切り口と分習法~(全1枚)”. ジャパンライム. 2020年3月6日閲覧。
- ^ “桐生の恩師・洛南高柴田監督「命がけでいけ」/手記”. 日刊スポーツ. (2017年9月10日) 2020年3月6日閲覧。
外部リンク
[編集]- 柴田博之 - 国際オリンピック委員会
- 柴田博之 - オリンピックチャンネル
- 柴田博之 - Olympedia
- 柴田博之 - Sports-Reference.com (Olympics) のアーカイブ
- 柴田博之 - 国際陸上競技連盟