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柿崎町

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
柿崎村から転送)
かきざきまち
柿崎町
浄善寺
柿崎町旗 柿崎町章
柿崎町旗 柿崎町章
廃止日 2005年1月1日
廃止理由 編入合併
東頸城郡安塚町浦川原村大島村牧村中頸城郡板倉町大潟町柿崎町清里村頸城村中郷村三和村吉川町西頸城郡名立町上越市
現在の自治体 上越市
廃止時点のデータ
日本の旗 日本
地方 中部地方北陸地方
甲信越地方
都道府県 新潟県
中頸城郡
市町村コード 15541-1
面積 85.39 km2.
総人口 11,948
(2004年8月31日)
隣接自治体 柏崎市大潟町吉川町
町の木 マツ
町の花 ハマナス
柿崎町役場
所在地 949-3292
新潟県中頸城郡柿崎町大字柿崎6405
柿崎町役場
座標 北緯37度16分36秒 東経138度23分27秒 / 北緯37.27667度 東経138.39078度 / 37.27667; 138.39078座標: 北緯37度16分36秒 東経138度23分27秒 / 北緯37.27667度 東経138.39078度 / 37.27667; 138.39078
柿崎町の位置
ウィキプロジェクト
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柿崎町(かきざきまち)は、かつて新潟県中頸城郡に属していた上越市への通勤率は17.1%(平成12年国勢調査)。北国街道宿場町として発展した[1]。2005年(平成17年)1月1日に上越市に編入し、町域は地域自治区の柿崎区となった。

地理

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北側は日本海に面していた[1]。北東部は佐渡弥彦米山国定公園に含まれており、米山は霊峰とみなされていた[1]

隣接していた自治体

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人口

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柿崎町時代
  • 1960年(昭和35年) - 3,193世帯、16,391人
  • 1970年(昭和45年) - 3,245世帯、14,111人
  • 1980年(昭和55年) - 3,495世帯、13,702人
  • 1990年(平成2年) - 3,386世帯、12,880人
  • 2000年(平成12年) - 3,574世帯、12,116人
上越市編入後
  • 2010年(平成22年) - 3,527世帯、11,060人
  • 2020年(令和2年) - 3,405世帯、9,270人


歴史

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沿革

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  • 江戸時代 - 北国街道宿場町として栄えた[1]
  • 1889年(明治22年)4月1日 - 町村制施行に伴い、中頸城郡柿崎村が成立。
  • 1901年(明治34年)11月1日 - 犀浜村,下黒川村の一部と合併して柿崎村となる。
  • 1908年(明治41年)10月1日 - 七ヶ村と合併して柿崎村となる。
  • 1934年(昭和9年)1月1日 - 町制施行して柿崎町となる。
  • 1955年(昭和30年)3月1日 - 下黒川村黒川村黒岩村と合併して柿崎町となる。
  • 1989年(平成元年) - 上輪、高畔、蕨野の3大字が柏崎市に編入される。
  • 2005年(平成17年)1月1日 - 周辺13町村とともに上越市へ編入される。

行政

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歴代町長

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  • 初代 - 小松邦治郎(こまつくにじろう)
  • 楡井辰雄(にれいたつお) - 1999年4月30日から

経済

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漁業

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  • 柿崎漁港

姉妹都市・提携都市

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国内

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国外

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  • 新林第八洞(大韓民国ソウル特別市冠岳区)

教育

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新潟県立久比岐高等学校

小学校

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中学校

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高等学校

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交通

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柿崎駅

鉄道

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道路

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高速道路
町内にあるインターチェンジ:北陸自動車道 - 柿崎インターチェンジ
一般国道
町内を走る一般国道:国道8号

娯楽

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  • 柿崎平和館 - 映画館[2]

名所・旧跡・観光スポット・祭事・催事

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  • 柿崎中央海岸
  • 上下浜温泉・ハマナスふれあいセンター
  • 栃窪温泉・鷺乃湯
  • 米山薬師
  • 浄福寺 - 親鸞にまつわる遺物がある[1]
  • 浄善寺
  • 密蔵院 - 護摩堂には壁面彫刻がある[1]
  • 楞厳寺 - 柿崎景家菩提寺[1]

出身有名人

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脚注

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参考文献

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  • 柿崎町史編纂会『柿崎町史』柿崎町史編纂会東京事務所、1938年。NDLJP:1227961 

関連項目

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外部リンク

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