植松雅孝
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 貞享4年8月26日(1687年10月2日) |
死没 | 享保15年9月24日(1730年11月4日) |
改名 | 雅康、雅孝 |
官位 | 宮内卿、左近衛中将、正三位 |
主君 | 東山天皇→中御門天皇 |
氏族 | 植松家 |
父母 | 父:植松雅永、母:家女房 |
子 |
養子:賞雅 幸雅 |
植松 雅孝(うえまつ まさたか)は、江戸時代中期の公卿。植松家2代当主。官位は宮内卿、左近衛中将、正三位[1][2]。
主に東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の二代にわたり仕えた。
経歴
[編集]貞享4年(1687年)、植松雅永の子として生まれた[1][2]。母は家女房[1]。初名は雅康[1][2]。
元禄4年(1691年)に叙爵。元禄13年(1700年)に元服。以降、右近衛少将や左近衛中将を経て、享保4年(1719年)に従三位となり公卿に列する。
享保11年(1726年)に雅孝と改名した。享保13年(1728年)宮内卿となり、御所の庶務を司った。その後、病に罹り、享保15年(1730年)に宮内卿を辞職した。
享保15年(1730年)9月24日、死去[2][1]。44歳[2]。
系譜
[編集]脚注
[編集]参考文献
[編集]- 今井堯ほか 編『日本史総覧』 補巻《中世三・近世三》、児玉幸多・小西四郎・竹内理三監修、新人物往来社、1984年11月15日。NDLJP:12192955/182。(要登録)
- 坂本武雄 編『公卿辞典』七丈書院、1944年10月5日。NDLJP:1123765。(要登録)
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