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植松雅孝

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
植松 雅孝
時代 江戸時代中期
生誕 貞享4年8月26日1687年10月2日
死没 享保15年9月24日1730年11月4日
改名 雅康、雅孝
官位 宮内卿左近衛中将正三位
主君 東山天皇中御門天皇
氏族 植松家
父母 父:植松雅永、母:家女房
養子:賞雅
幸雅
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植松 雅孝(うえまつ まさたか)は、江戸時代中期の公卿植松家2代当主。官位宮内卿左近衛中将正三位[1][2]

主に東山天皇(113代)・中御門天皇(114代)の二代にわたり仕えた。

経歴

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貞享4年(1687年)、植松雅永の子として生まれた[1][2]。母は家女房[1]。初名は雅康[1][2]

元禄4年(1691年)に叙爵。元禄13年(1700年)に元服。以降、右近衛少将や左近衛中将を経て、享保4年(1719年)に従三位となり公卿に列する。

享保11年(1726年)に雅孝と改名した。享保13年(1728年)宮内卿となり、御所の庶務を司った。その後、病に罹り、享保15年(1730年)に宮内卿を辞職した。

享保15年(1730年)9月24日、死去[2][1]。44歳[2]

系譜

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脚注

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  1. ^ a b c d e 今井ほか 1984, p. 357.
  2. ^ a b c d e 坂本 1944, p. 152.

参考文献

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先代
植松雅永
植松家
2代
次代
植松賞雅