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椿 (楢型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1917年11月5日[1]
進水 1918年2月22日[1]
就役 1918年4月20日[1]
除籍 1935年4月1日[1]
その後 1940年4月1日廃駆逐艦第22号と仮称、海軍工機学校の教材に使用[1]
その後、呉の浮桟橋となる[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:770トン
常備:850トン
全長 全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1]
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[2]
全幅 25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1]
吃水 7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1]
機関 推進:2軸 x 730rpm
主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基
出力:17,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基
速力 31.5ノット
燃料 重油212トン、石炭98トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 竣工時定員 112名[3]
兵装 45口径三年式12cm単装砲3門
三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺
45cm3連装魚雷発射管2基6門
搭載艇 4隻

椿(つばき)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、楢型駆逐艦の3番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「椿」があるため、こちらは「椿 (初代)」や「椿I」などと表記される。

艦歴

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1917年(大正6年)11月5日、呉海軍工廠で起工[4]1918年(大正7年)2月23日午前9時32分進水[5]。同年4月30日竣工[6][注釈 2]

その後、第九駆逐隊に所属。1927年昭和2年)3月7日丹後半島で発生した北丹後地震の際には、海上から救護隊を出して網野町などで被災者の救援活動を行った[7]

1935年(昭和10年)4月1日除籍。1940年(昭和15年)4月1日、廃駆逐艦第22号と仮称、海軍工機学校の教材となる。その後、呉の浮桟橋となる。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 坪井丈左衛門 少佐:1917年12月1日[8] - 1918年3月9日[9]
  • (兼)坪井丈左衛門 少佐:1918年3月9日[9] -
駆逐艦長
  • 坪井丈左衛門 少佐:1918年3月9日[9] - 12月1日[10]
  • 柘植慶太郎 少佐:1918年12月1日[10] -
  • (心得)高橋真十郎 大尉:1919年2月6日[11] - 12月1日[12]
  • 高橋真十郎 少佐:1919年12月1日[12] - 1920年12月1日[13]
  • 横山徳治郎 少佐:1920年12月1日 - 1921年1月20日
  • 杉本嘉多雄 少佐:1921年1月20日[14] - 1923年9月1日[15]
  • (心得)須賀彦次郎 大尉:1923年9月1日 - 1923年12月1日
  • 須賀彦次郎 少佐:1923年12月1日 - 1924年2月5日
  • (心得)安富芳介 大尉:1924年2月5日[16] - 不詳
  • 安富芳介 少佐:不詳 - 1925年12月1日[17]
  • 西岡茂泰 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
  • 中川浩 大尉:1926年12月1日 - 1928年12月10日
  • 阪匡身 少佐:1928年12月10日 - 1929年11月30日
  • 成田茂一 少佐:1929年11月30日[18] - 1930年12月1日[19]
  • 平山武俊 大尉:1930年12月1日[19] - 1931年12月1日[20]
  • (兼)宮崎定栄 大尉:不詳 - 1932年4月1日[21]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表では桃型と同じ水線長85.85m、垂線間長83.82m、最大幅7.74m、公試状態吃水2.36mとしている。また#日本駆逐艦史1992p.52では全長85.9mとしている。
  2. ^ #戦史叢書31海軍軍戦備1p.275では4月29日竣工となっている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g 『日本海軍史』第7巻、299頁。
  2. ^ #横須賀海軍工廠史3p.13。ただし楢の値として。
  3. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.570-571『大正六年十二月二十八日(内令三二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表其二ヲ附表ノ通改ム(附表略)』槇を追加、將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒79人。
  4. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)画像8『大正六年十一月六日 呉海軍工廠長 伊藤乙次?(中略)官房機密第一三三六號ノ二訓令ニ依リ當廠ニ於テ建造スヘキ驅逐艦桑椿ハ本月五日午後二時二十分起工致候 右報告ス(終)』
  5. ^ #T7公文備考22艦船3/引渡、授受画像38『大正七年二月廿三日(中略)桑、椿、二十三日午前九時三十二分無事進水セリ(了)』
  6. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)画像6『榎引渡結了 四月二十九日 舞鎮長官 椿竣工本日授受結了 四月三十日 呉鎮長官』
  7. ^ 峰山、網野、加悦、岩滝など壊滅『大阪毎日新聞』昭和2年3月8日号外(『昭和ニュース事典第1巻 昭和元年-昭和3年』本編p219 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年)
  8. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  9. ^ a b c 『官報』第1679号、大正7年3月11日。
  10. ^ a b 『官報』第1900号、大正7年12月3日。
  11. ^ 『官報』第1953号、大正8年2月7日。
  12. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  13. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  14. ^ 『官報』第2539号、大正10年1月21日。
  15. ^ 『官報』号外第15号、大正12年9月14日。
  16. ^ 『官報』第3434号、大正13年2月6日。
  17. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  18. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  19. ^ a b 『官報』第1179号、昭和5年12月2日。
  20. ^ 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  21. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。

参考文献

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  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 防衛庁防衛研修所戦史室『海軍軍戦備<1> 昭和十六年十一月まで』 戦史叢書第31巻、朝雲新聞社、1969年。 
  • 横須賀海軍工廠/編 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • アジア歴史資料センター(公式)(防衛省防衛研究所)
    • 『大正7年 公文備考 巻20 艦船1/駆逐艦浦風、江風、製造(1)』。Ref.C08021104400。 
    • 『大正7年 公文備考 巻22 艦船3/引渡、授受』。Ref.C08021108200。 

関連項目

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