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楢 (楢型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 1917年度[1]
起工 1917年11月8日[1]
進水 1918年3月28日[1]
就役 1918年4月30日[1]
その後 1930年6月1日掃海艇編入、第九号掃海艇(二代)と改名[1][2]
1936年4月1日雑役船編入、練習船指定、船名を「楢」に復帰[1][2]
戦時中に解体、船体の一部が呉・吉浦港の浮桟橋となる[1]
除籍 1940年11月15日[1]
廃船 1940年11月15日[1]
性能諸元(計画)
排水量 基準:770トン
常備:850トン
全長 全長:290 ft 0 in (88.39 m)[注釈 1]
垂線間長:275 ft 0 in (83.82 m)[3]
全幅 25 ft 4 in (7.72 m)[注釈 1]
吃水 7 ft 10 in (2.39 m)[注釈 1]
機関 推進:2軸 x 730rpm
主機:ブラウン・カーチス式単式直結タービン 2基
出力:17,500馬力
ボイラー:ロ号艦本式缶 重油専焼2基、石炭重油混焼2基
速力 31.5ノット
燃料 重油212トン、石炭98トン
航続距離 3,000カイリ / 14ノット
乗員 竣工時定員 112名[4]
兵装 45口径三年式12cm単装砲3門
三年式機砲(6.5mm機銃) 2挺
45cm3連装魚雷発射管2基6門
搭載艇 4隻

(なら)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、楢型駆逐艦1番艦である。同名艦に松型駆逐艦の「」があるため、こちらは「楢 (初代)」や「楢I」などと表記される。

艦歴

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1917年(大正6年)11月8日、横須賀海軍工廠で起工[5]1918年(大正7年)3月28日午後3時30分進水[6]。同年4月30日竣工[7]

1930年昭和5年)6月1日、掃海艇に転籍、第九号掃海艇となる。1936年(昭和11年)4月1日、雑役船「楢」となる。1940年(昭和15年)11月15日除籍、廃船。戦時中に解体され、船体の一部が呉、吉浦港の浮桟橋となった。

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 山田松次郎 少佐:1917年12月1日[8] - 1918年4月1日[9]
  • (兼)山田松次郎 少佐:1918年4月1日[9] -
駆逐艦長
  • 山田松次郎 少佐:1918年4月1日[9] - 1920年3月1日[10]
  • 赤沢堅三郎 少佐:1920年3月1日[10] - 12月1日[11]
  • (心得)中円尾義三 大尉:1920年12月1日 - 1921年12月1日
  • 中円尾義三 少佐:1921年12月1日 - 1922年12月1日
  • 椛島節雄 少佐:1922年12月1日 - 1924年4月1日
  • 畠山耕一郎 少佐:1924年4月1日 - 12月1日
  • 野末信次郎 少佐:1924年12月1日[12] - 1925年12月7日[13]
  • (兼)加来博胤 中佐:1925年12月7日[13] - 1926年4月20日[14]
  • 多田武雄 少佐:1926年4月20日 - 1926年11月1日
  • 伊崎俊二 大尉:1926年11月1日 - 1927年12月1日
  • 直塚八郎 少佐:1927年12月1日[15] -
  • 直塚八郎 少佐:1928年2月13日 - 1928年12月10日[16]
  • (兼)横山茂 中佐:1928年12月10日[16] -
  • 横山茂 中佐:不詳 - 1929年11月30日[17]
  • 小島斉志 少佐:1929年11月30日 - 1930年5月26日
  • 藤田友造 大尉:1930年5月26日[18] - 1930年6月1日[19]
掃海艇長
  • 藤田友造 大尉:1930年6月1日[19] - 1931年12月1日[20]
  • (兼)野口照隆 少佐:1931年12月1日[20] - 1932年2月1日[21]
  • (兼)有田貢 少佐:1932年2月1日[21] - 1932年4月1日[22]

脚注

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注釈

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  1. ^ a b c #昭和造船史1pp.788-789、6.駆逐艦及び水雷艇要目表では桃型と同じ水線長85.85m、垂線間長83.82m、最大幅7.74m、公試状態吃水2.36mとしている。また#日本駆逐艦史1992p.52では全長85.9mとしている。

出典

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  1. ^ a b c d e f g h i 『日本海軍史』第7巻、299頁。
  2. ^ a b 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇艦歴表」12頁。
  3. ^ #横須賀海軍工廠史3p.13。
  4. ^ #海軍制度沿革10-1(1972)pp.570-571『大正六年十二月二十八日(内令三二三) 海軍定員令中ノ通改正セラル 驅逐艦定員表其二ヲ附表ノ通改ム(附表略)』槇を追加、將校、機關將校6人、特務士官、准士官3人、下士24人、卒79人。
  5. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像36『横廠工第五四三號ノ一一 大正六年十一月三十日 横須賀海軍工廠長田中盛秀(中略)官房機密第一三三六號訓令ノ驅逐艦楢ハ十一月八日午前十時「キール」据付ヲ了セリ 右報告ス(終)』
  6. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像81『大正七年三月二十八日(中略)楢本日午後三時三十分無事進水セリ 右報告ス(終)』
  7. ^ #T7公文備考20艦船1/駆逐艦楢、榎、槙、欅、桑、椿製造画像43『艦政船第二三一號(中略)楢竣成ニ付本日楢駆逐艦長ニ引渡ヲ了ス 大正七年四月三十日 横須賀工廠長』
  8. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  9. ^ a b c 『官報』第1697号、大正7年4月2日。
  10. ^ a b 『官報』第2271号、大正9年3月2日。
  11. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。
  12. ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  13. ^ a b 『官報』第3988号、大正14年12月9日。
  14. ^ 『官報』第4095号、大正15年4月21日。
  15. ^ 『官報』第279号、昭和2年12月2日。
  16. ^ a b 『官報』第587号、昭和3年12月11日。
  17. ^ 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  18. ^ 『官報』第1021号、昭和5年5月28日。
  19. ^ a b 『官報』第1025号、昭和5年6月2日。
  20. ^ a b 『官報』第1478号、昭和6年12月2日。
  21. ^ a b 『官報』第1525号、昭和7年2月2日。
  22. ^ 『官報』第1575号、昭和7年4月2日。

参考文献

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  • 海軍省/編 編『海軍制度沿革 巻十の1』 明治百年史叢書 第182巻、原書房、1972年4月(原著1940年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』光人社、1993年。 ISBN 4-7698-0386-9
    • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『世界の艦船増刊第34集 日本駆逐艦史』、海人社、1992年7月。 
  • (社)日本造船学会/編 編『昭和造船史(第1巻)』 明治百年史叢書 第207巻(第3版)、原書房、1981年(原著1977年10月)。ISBN 4-562-00302-2 
  • 日本舶用機関史編集委員会/編 編『帝国海軍機関史』 明治百年史叢書 第245巻、原書房、1975年11月。 
  • 横須賀海軍工廠/編 編『横須賀海軍工廠史(3)』 明治百年史叢書 第331巻、原書房、1983年8月(原著1935年)。ISBN 4-562-01380-X 
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。

関連項目

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