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朝潮 (白雲型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 第二期拡張計画[1](1900年度[2])
起工 1901年4月3日[2]
進水 1902年1月10日[2]
竣工 1902年5月4日[2]
除籍 1922年4月1日[2]
その後 二等掃海艇[2]
1923年4月1日標的船[2]
1925年5月2日廃船[2]
1926年4月5日売却[2]
要目
排水量 常備:322トン
長さ 65.9m
6.3m
吃水 1.8 m[3]
機関 2軸推進、7,000shp
速力 31ノット
航続距離
乗員 62人[4]
兵装 8.0cm単装砲2基
57mm単装砲5基
45cm水上発射管2門

朝潮(あさしお / あさしほ)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、白雲型駆逐艦の2番艦である。同名艦に朝潮型駆逐艦の「朝潮」があるため、こちらは「朝潮 (初代)」や「朝潮I」などと表記される。

艦歴

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当初の艦名は第十六号駆逐艦。1902年1月10日に進水し「朝潮」と命名[5]。同年5月4日、イギリスソーニクロフト社で竣工、軍艦に編入され駆逐艦に類別[2]。同年7月7日、日本へ回航[6]。同年11月20日、横須賀に到着[2]

1904年日露戦争が勃発した際には第1艦隊第1駆逐隊に所属していた[7]旅順口攻撃黄海海戦に参加[2]。同年8月12日、僚艦とともに芝罘でロシア駆逐艦「レシーテリヌィ」(後に「山彦」へ改名)を捕獲した[7]。1905年の日本海海戦では第2艦隊第4駆逐隊に所属して参加した[7]

1905年12月12日駆逐艦に種別変更[2]

1912年8月28日三等駆逐艦[2]

1914年青島の戦いに参加[2]

掃海艇

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1922年4月1日駆逐艦籍を除かれ(除籍)、特務艇籍へ編入され二等掃海艇に類別された[2]

標的船

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1923年4月1日、雑役船(標的船)に編入[2]1925年1月9日呉鎮守府が廃船を上申[8]、4月11日に廃船認許[9]、 5月2日に廃船とされた[2]。 5月20日に船体は呉海軍港務部から呉海軍工廠へ引き渡し[10]、 翌1926年(大正15年)4月5日に23,000で売却された[11]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
  • 堀内権三郎 少佐:1901年9月10日 - 1902年1月23日
艦長
  • 堀内権三郎 少佐:1902年1月23日 - 1903年2月7日
  • 松永光敬 少佐:1903年2月7日 -
  • 南里団一 少佐:1904年9月11日 - 1905年8月5日
駆逐艦長
  • 別府友次郎 少佐:1905年12月12日 - 1906年3月14日
  • 柴内豪吉 大尉:1906年3月14日 - 4月1日
  • (兼)中原弥平 大尉:1906年4月1日 - 4月23日
  • 岡田雄三 大尉:1906年4月23日 - 1908年2月1日
  • 山本泰洋 大尉:1908年2月1日 - 11月20日
  • 荒城二郎 大尉:1908年11月20日 - 12月14日
  • (兼)副島慶一 大尉:1908年12月14日 - 12月23日
  • (兼)秋吉照一 大尉:1908年12月23日 - 1909年2月20日
  • (兼)山中義勇 大尉:1909年2月20日 - 12月1日
  • 太田浄信 大尉:1909年12月1日 - 1910年12月17日
  • (兼)荒城二郎 大尉:1910年12月17日 - 1911年4月28日
  • 及川古志郎 大尉:1911年4月28日 - 1912年12月1日
  • 藤好鉄之助 大尉:1912年12月1日 - 1913年12月1日
  • 中川文一 大尉:1913年12月1日 - 不詳
  • 宮部光利 少佐:不詳 - 1915年12月13日
  • 岩城茂身 大尉:1915年12月13日 - 1916年7月3日
  • 菊地豊吉 大尉:1916年7月3日 - 1917年8月11日
  • 隈部信夫 大尉:1917年8月11日 - 12月1日[12]
  • 成田二郎 大尉:1917年12月1日 - 1918年12月1日
  • 中円尾義三 大尉:1918年12月1日 - 1920年12月1日
  • 宮崎平 大尉:1920年12月1日[13] -

脚注

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出典

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  1. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.9、明治二十九年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q r 『日本海軍史』第7巻、287頁。
  3. ^ 『日本海軍史』第7巻、182頁。
  4. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇要目表」51頁。
  5. ^ 『官報』第5557号、明治35年1月15日。
  6. ^ 『官報』第5704号、明治35年7月10日。
  7. ^ a b c 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、364-365頁。
  8. ^ #T14公文備考25/時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号16-18コマ、大正14年1月9日官房第1282号「雑役船廃船處分ノ件」
  9. ^ #T14公文備考25/時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号12-15コマ、大正14年4月11日官房第1282号の2
  10. ^ #T14公文備考24/引渡授受(2)コマ33-34、大正14年5月29日呉港第14号の160
  11. ^ #T15(S1)公文備考30/呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(3)19コマ、大正15年4月19日呉工第8号の3の90
  12. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  13. ^ 『官報』第2501号、大正9年12月2日。

参考文献

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  • アジア歴史資料センター
    • 防衛省防衛研究所
    • 「引渡授受(2)」『大正14年 公文備考 艦船4 巻24』、JACAR:C08051370700 
    • 「時雨、夕凪、有明、吹雪 官房第1626号」『大正14年 公文備考 艦船5 巻25』、JACAR:C08051373000 
    • 「呉鎮第32号の87の2公称第512号汽艇廃船処分の件(3)」『大正15年 昭和元年 公文備考 艦船5 巻30』、JACAR:C04015131600 
  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。