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薄雲 (東雲型駆逐艦)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 第二期拡張計画[1](1897年度[2])
起工 1898年9月[2]
進水 1900年1月16日[2]
竣工 1900年2月1日[2]
除籍 1922年4月1日
その後 二等掃海艇[2]
1923年6月30日二等掃海特務艇[2]
1923年8月1日運貨船[2]
1925年2月25日廃船[2]
1925年4月29日撃沈処分[2]
要目
排水量 常備:322トン
長さ 63.6m
6.0m
吃水 1.7 m[3]
機関 2軸推進、5,475shp
速力 30ノット
航続距離
乗員 58人[4]
兵装 8.0cm単装砲1基
57mm単装砲5基
45cm水上発射管2門

薄雲(うすぐも)は、大日本帝国海軍駆逐艦で、東雲型駆逐艦の6番艦である。同名艦に吹雪型駆逐艦(特I型)の「薄雲」があるため、こちらは「薄雲 (初代)」や「薄雲I」などと表記される。

艦歴

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発注時の艦名は第十号水雷艇駆逐艇[5]1900年2月1日、イギリスソーニクロフト社で竣工し、水雷艇(駆逐艇)に類別[2]。同年5月14日、鹿児島に到着[2]1900年6月22日、軍艦に編入され、駆逐艦に類別[2]

1904年日露戦争が勃発した際には第1艦隊第3駆逐隊に所属していた[6]旅順口攻撃黄海海戦日本海海戦などに参加した[2][6]

1905年12月12日駆逐艦に種別変更[2]

1912年8月28日三等駆逐艦[2]

1922年4月1日、特務艇(二等掃海艇)に編入。1923年6月30日、二等掃海特務艇に類別変更。同年8月1日、雑役船(運貨船)に編入、同時に公称第2525号に改称。1925年2月25日、廃船。同年4月29日、伊豆大島沖で実艦標的として撃沈処分[2]

艦長

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※『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

回航委員長
艦長
駆逐艦長

脚注

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  1. ^ #海軍制度沿革8(1971)p.9、明治二十九年
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m n o p 『日本海軍史』第7巻、287頁。
  3. ^ 『日本海軍史』第7巻、182頁。
  4. ^ 『写真日本海軍全艦艇史』資料編「主要艦艇要目表」51頁。
  5. ^ 『官報』第4550号、明治31年8月29日。
  6. ^ a b 『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、260-261頁。
  7. ^ 『官報』第1601号、大正6年12月3日。
  8. ^ a b 『官報』第2199号、大正8年12月2日。
  9. ^ a b 『官報』第2419号、大正9年8月24日。
  10. ^ a b 『官報』第2784号、大正10年11月11日。
  11. ^ a b 『官報』第2849号、大正11年2月2日。

参考文献

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  • 海軍省/編『海軍制度沿革 巻八』 明治百年史叢書 第180巻、原書房、1971年10月(原著1941年)。 
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 片桐大自『聯合艦隊軍艦銘銘伝』普及版、光人社、2003年。
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。