第四号掃海艇
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艦歴 | |
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計画 | 大正12年度計画[1] |
起工 | 1923年12月1日[1] |
進水 | 1924年4月24日[1] |
竣工 | 1925年4月29日[1] |
その後 | 1946年7月11日英海軍により海没処分[1] |
除籍 | 1946年8月10日[1] |
性能諸元 | |
排水量 | 基準:600トン 公試:702トン |
全長 | 76.20m |
全幅 | 8.03m |
吃水 | 2.29m |
機関 | ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2] 直立3気筒3段膨張レシプロ2基 2軸、4,000馬力 |
速力 | 20.0ノット |
航続距離 | 12ノットで2,000海里 |
燃料 | 石炭:150トン |
乗員 | 97名[3] |
兵装 | 45口径三年式12cm砲 2門 40口径三年式8cm高角砲 単装1門 九一式爆雷投射機2基 爆雷投下台6基 爆雷18個[4] 対艦式大掃海具2型 単艦式大掃海具3型、または機雷50個 |
第四号掃海艇(だいよんごうそうかいてい)は、日本海軍の掃海艇。第一号型掃海艇の4番艦。
艦歴
[編集]1923年(大正12年)12月1日、佐世保海軍工廠で起工[1]。1924年(大正13年)4月24日進水。1925年(大正14年)4月29日に竣工。竣工時艇名は第四掃海艇、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第四号掃海艇に改称[5]。
1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]。太平洋戦争では、南方侵攻作戦、船団護衛に従事[1]。
終戦時にはシンガポールに所在[1]。1946年(昭和21年)7月11日、英海軍によりシンガポール、ケッペル港南方で海没処分[1]。同年8月10日に除籍。
歴代艇長
[編集]※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。
- 艤装員長
- 艇長
- 遠藤昌 少佐:1925年3月25日[7] - 1926年12月1日[8]
- 成由茂一 大尉:1926年12月1日[8] - 1928年11月1日[9]
- 村上暢之助 大尉:1928年11月1日 - 1929年10月3日
- 吉村真武 大尉:1929年10月3日[10] - 1930年11月1日[11]
- (兼)橘雄次 大尉:1930年11月1日[11] - 1930年12月12日[12]
- 河野康 大尉:1930年12月12日 - 1931年12月1日
- 井上良雄 大尉:1931年12月1日 - 1932年12月1日
- 森圭作 大尉:1932年12月1日[13] - 1934年11月15日[14]
- 林利作 大尉:1934年11月15日[14] - 1935年11月15日[15]
- 小滝久雄 大尉:1935年11月15日 - 1936年12月1日
- 久保木英雄 少佐:1936年12月1日[16] - 1938年1月30日[17]
- (兼)岡戸靖彦 少佐:1938年1月30日[17] - 1938年2月26日[18]
- 岡戸靖彦 少佐:1938年2月26日[18] - 1938年7月28日[19]
- 富田捨造 少佐:1938年7月28日 - 1938年12月15日
- 蒲原俊郎 少佐:1938年12月15日[20] -
- 三舩俊郎 少佐:不詳 - 1940年10月5日[21]
- 座間栄敬 大尉:1940年10月5日[21] - 1940年11月1日[22]
- 石井次郎 予備大尉:1940年11月1日[22] -
- 長嶺為三郎 予備大尉:1941年9月12日[23] -
脚注
[編集]- ^ a b c d e f g h i j k 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
- ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると91名。
- ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。一方『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』には爆雷の記載はない。
- ^ 「大正13年4月24日付 海軍大臣達 第49号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070083400
- ^ 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
- ^ a b 『官報』第3776号、大正14年3月27日。
- ^ a b 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
- ^ 『官報』第558号、昭和3年11月2日。
- ^ 『官報』第830号、昭和4年10月4日。
- ^ a b 『官報』第1155号、昭和5年11月4日。
- ^ 『官報』第1189号、昭和5年12月13日。
- ^ 『官報』第1778号、昭和7年12月2日。
- ^ a b 『官報』第2364号、昭和9年11月16日。
- ^ 『官報』第2663号、昭和10年11月16日。
- ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第131号 昭和13年1月31日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073300
- ^ a b 「海軍辞令公報 号外 第142号 昭和13年2月28日付」 アジア歴史資料センター Ref.C13072073400
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第217号 昭和13年7月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第540号 昭和15年10月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000
- ^ a b 「海軍辞令公報(部内限)第550号 昭和15年11月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079300
- ^ 「海軍辞令公報(部内限)第710号 昭和16年9月12日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082100
参考文献
[編集]- 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
- 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
- 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
- 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
- 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。