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第六号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 大正12年度計画[1]
起工 1928年3月10日[1]
進水 1928年10月29日[1]
竣工 1929年2月25日[1]
その後 1941年12月26日空爆により沈没[1]
除籍 1942年1月10日[1]
性能諸元
排水量 基準:620トン
公試:717トン
全長 77.00m
全幅 8.25m
吃水 2.25m
機関 ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2]
3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、4,000馬力
速力 21.0ノット[3]
航続距離 14ノットで2,000海里
燃料 石炭:150トン
乗員 91名
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷投下台
爆雷18個
掃海具、または機雷50個

第六号掃海艇(だいろくごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第五号型掃海艇の2番艦。海軍省が定めた艦艇類別等級別表では第一号型に含まれる[4]

艦歴

[編集]

1928年昭和3年)3月10日、大阪鉄工所桜島工場で起工[1]。同年10月29日進水。1929年(昭和4年)2月25日に竣工。第六号掃海艇と命名され、掃海艇に類別。

1937年(昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方侵攻作戦に参加[1]1940年(昭和15年)10月11日、横浜港沖で行われた紀元二千六百年特別観艦式に参加[5]

1941年(昭和16年)12月26日、ボルネオ攻略作戦において同島クチン泊地でオランダ軍機の爆撃をうけ沈没[1]。この時「第六号掃海艇」は「第二雲洋丸」に横付けしており、「第二雲洋丸」も炎上後沈没した[6]。これは、サマリンダよりクチンに来襲したグレン・マーチン3機の攻撃によるものであった[7]

1942年(昭和17年)1月10日に除籍。

歴代艇長

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※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 成田茂一 大尉:1928年11月1日[8] -
艇長
  • 成田茂一 少佐:1929年2月25日[9] - 1929年11月30日[10]
  • 岡崎文勳 大尉:1929年11月30日[10] - 1930年5月1日[11]
  • 川井繁蔵 大尉:1930年5月1日 - 1930年12月1日
  • 天野重隆 大尉:1930年12月1日 - 1931年11月2日
  • 川元徳次郎 大尉:1931年11月2日[12] - 1933年11月15日[13]
  • 吉田正義 大尉:1933年11月15日[13] - 1934年10月22日[14]
  • 法元廉 大尉:1934年10月22日[14] - 1936年4月1日[15]
  • 吉井吉郎 大尉:1936年4月1日[15] - 1936年12月1日[16]
  • 富田捨造 少佐:1936年12月1日 - 1938年7月28日
  • 岡戸靖彦 少佐:1938年7月28日[17] - 1938年11月15日[18]
  • 佐川通夫 少佐:1938年11月15日[18] - 1939年7月29日[19]
  • 日下敏夫 少佐:1939年7月29日[19] - 1940年3月20日[20]
  • 江原晃 少佐:1940年3月20日[20] - 1940年11月15日[21]
  • 蓼沼三郎 少佐:1940年11月15日[21] - 1941年9月10日[22]
  • 田中弘国 大尉:1941年9月10日[22] - 1942年1月15日[23]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i j 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
  3. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると20.0ノット。
  4. ^ 大正15年11月29日付 海軍内令 第238号。
  5. ^ 『紀元二千六百年祝典記録・第六冊』、369頁
  6. ^ 戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦、535ページ
  7. ^ 南方進攻航空戦、307ページ
  8. ^ 『官報』第558号、昭和3年11月2日。
  9. ^ 『官報』第647号、昭和4年2月27日。
  10. ^ a b 『官報』第878号、昭和4年12月2日。
  11. ^ 『官報』第999号、昭和5年5月2日。
  12. ^ 『官報』第1455号、昭和6年11月4日。
  13. ^ a b 『官報』第2064号、昭和8年11月16日。
  14. ^ a b 『官報』第2344号、昭和9年10月23日。
  15. ^ a b 『官報』第2773号、昭和11年4月2日。
  16. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  17. ^ 海軍辞令公報(部内限)号外 第217号 昭和13年7月28日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074100 
  18. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第261号 昭和13年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074600 
  19. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第364号 昭和14年7月31日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072076100 
  20. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第453号 昭和15年3月20日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077800 
  21. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第555号 昭和15年11月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079500 
  22. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第708号 昭和16年9月10日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072082000 
  23. ^ 海軍辞令公報(部内限)第794号 昭和17年1月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072083800 

参考文献

[編集]
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。
  • 防衛庁防衛研修所 戦史室『戦史叢書第24巻 比島・マレー方面海軍進攻作戦』朝雲新聞社
  • クリストファー・ショアーズ、ブライアン・カル、伊沢保穂『南方進攻航空戦1941-1942』伊沢保穂(訳)、大日本絵画、2002年、ISBN 4-499-22770-4