コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

第一号掃海艇

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
艦歴
計画 大正9年度計画[1]
起工 1922年5月10日[1]
進水 1923年3月6日[1]
竣工 1923年6月30日[1]
その後 1945年8月10日空襲により沈没[1]
除籍 1945年9月15日[1]
性能諸元
排水量 基準:600トン
公試:702トン
全長 76.20m
全幅 8.03m
吃水 2.29m
機関 ロ号艦本式缶(石炭専焼)2基[2]
直立3気筒3段膨張レシプロ2基
2軸、4,000馬力
速力 20.0ノット
航続距離 12ノットで2,000海里
燃料 石炭:150トン
乗員 97名[3]
兵装 45口径三年式12cm砲 2門
40口径三年式8cm高角砲 単装1門
九一式爆雷投射機2基
爆雷投下台6基
爆雷18個[4]
対艦式大掃海具2型
単艦式大掃海具3型、または機雷50個

第一号掃海艇(だいいちごうそうかいてい)は、日本海軍掃海艇第一号型掃海艇の1番艦。

艦歴

[編集]

1922年大正11年)5月10日、播磨造船所で起工[1]1923年(大正12年)3月6日進水。同年6月30日に竣工。竣工時艇名は第一掃海艇[5]、掃海艇に類別。1924年(大正13年)4月24日、第一号掃海艇に改称[6]

1937年昭和12年)から1939年(昭和14年)まで日中戦争において華中の作戦に参加[1]太平洋戦争では、南方作戦、船団護衛に従事[1]1945年7月22-23日の海戦でアメリカ海軍駆逐艦と交戦。

1945年(昭和20年)8月10日、米空母艦載機の攻撃を受け沈没(岩手県山田港沖)。同年9月15日に除籍。

歴代艇長

[編集]

※艦長等は『日本海軍史』第9巻・第10巻の「将官履歴」及び『官報』に基づく。

艤装員長
  • 千葉成男 少佐:1923年5月1日[7] -
艇長
  • 千葉成男 少佐:1923年6月30日[8] - 1923年11月1日[9]
  • 遠藤昌 大尉:1923年11月1日[9] - 1924年12月1日[10]
  • 井原美岐雄 少佐:1924年12月1日[10] - 1925年12月1日[11]
  • 秋山輝男 大尉:1925年12月1日 - 1926年12月1日
  • 河西虎三 大尉:1926年12月1日[12] - 1928年1月20日[13]
  • 秋山輝男 少佐:1928年1月20日 - 1928年11月1日
  • 牟田口格郎 大尉:1928年11月1日 - 1929年4月15日
  • 荘司喜一郎 大尉:1929年4月15日 - 1930年12月1日
  • 久保田智 大尉:1930年12月1日 - 1931年12月1日
  • 山田勇助 大尉:1931年12月1日 - 1932年4月23日
  • 勢経雄 大尉:1932年4月23日[14] - 1933年4月10日[15]
  • 原田耕作 大尉:1933年4月10日[15] - 1934年4月1日[16]
  • 奥山鎮雄 大尉:1934年4月1日[16] - 1935年8月26日[17]
  • 堤恭三 大尉:1935年8月26日[17] - 1936年12月1日[18]
  • 守屋節司 少佐:1936年12月1日 - 1937年12月1日
  • 原口曻 少佐:1937年12月1日[19] - 1938年12月15日[20]
  • 竹内一 少佐:1938年12月15日[20] - 1940年2月3日[21]
  • 小野四郎 少佐:1940年2月3日[21] - 1940年10月15日[22]
  • 山崎仁太郎 大尉:1940年10月15日[23] - 1941年5月15日[24]
  • 瀬戸末吉 予備大尉:1941年5月15日[24] -

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d e f g h i 『写真日本海軍全艦艇史』資料篇「主要艦艇艦歴表」28頁。
  2. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると3基。
  3. ^ 『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』による。『写真 日本の軍艦 第13巻』p226-227の表によると91名。
  4. ^ 『写真 日本の軍艦 第13巻』による。一方『昭和造船史』、『日本補助艦艇物語』には爆雷の記載はない。
  5. ^ 大正10年10月12日付 海軍大臣達 第190号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070079300 
  6. ^ 大正13年4月24日付 海軍大臣達 第49号」 アジア歴史資料センター Ref.C12070083400 
  7. ^ 『官報』第3224号、大正12年5月2日。
  8. ^ 『官報』第3277号、大正12年7月3日。
  9. ^ a b 『官報』第3359号、大正12年11月2日。
  10. ^ a b 『官報』第3684号、大正13年12月2日。
  11. ^ 『官報』第3982号、大正14年12月2日。
  12. ^ 『官報』第4283号、大正15年12月2日。
  13. ^ 『官報』第317号、昭和3年1月21日。
  14. ^ 『官報』第1595号、昭和7年4月26日。
  15. ^ a b 『官報』第1881号、昭和8年4月11日。
  16. ^ a b 『官報』第2173号、昭和9年4月2日。
  17. ^ a b 『官報』第2596号、昭和10年8月27日。
  18. ^ 『官報』第2976号、昭和11年12月2日。
  19. ^ 海軍辞令公報 号外 第99号 昭和12年12月1日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072072700 
  20. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)号外 第273号 昭和13年12月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072074800 
  21. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第436号 昭和15年2月5日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072077700 
  22. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079000 
  23. ^ 海軍辞令公報(部内限)第543号 昭和15年10月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072079100 
  24. ^ a b 海軍辞令公報(部内限)第638号 昭和16年5月15日」 アジア歴史資料センター Ref.C13072081000 

参考文献

[編集]
  • 雑誌「丸」編集部『写真 日本の軍艦 第13巻 小艦艇I』光人社、1990年。ISBN 4-7698-0463-6
  • 日本造船学会『昭和造船史 第1巻』第3刷、原書房、1981年。ISBN 4-562-00302-2
  • 福井静夫『福井静夫著作集第10巻 日本補助艦艇物語』光人社、1993年。ISBN 4-7698-0658-2
  • 『写真日本海軍全艦艇史 Fukui Shizuo Collection』資料編、KKベストセラーズ、1994年。
  • 海軍歴史保存会『日本海軍史』第7巻、第9巻、第10巻、第一法規出版、1995年。