横浜市交通局500型電車
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横浜市交通局500型電車 横浜市交通局500型電車 | |
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基本情報 | |
運用者 | 横浜市交通局 |
製造所 | 瓦斯電・蒲田車両・雨宮製作所 |
製造年 | 1928年 |
製造数 | 60両(500 - 559) |
廃車 | 〜1969年 |
主要諸元 | |
軌間 | 1,372mm |
電気方式 |
直流600 V (架空電車線方式) |
車両定員 | 75人 |
全長 | 9,144 mm |
全幅 | 2,438 mm |
全高 | 3,640 mm |
駆動方式 | 吊り掛け駆動方式 |
備考 | 主要数値は[1][2][3] |
横浜市交通局500型電車(よこはましこうつうきょく500がたでんしゃ)は、かつて横浜市交通局が所有していた路面電車である横浜市電の電車[4][1]。
概要
[編集]1928年(昭和3年)に東京瓦斯電気・蒲田車両・雨宮製作所で20両ずつ作られた半鋼製単車。メーカーごとに車体や機器の一部に差異があった。横浜市電の戦前の代表車といえる車両。520は車内騒音軽減を狙い弾性車輪のテストが行われたことがあるが、ほとんど効果が無かったので不採用となっている[5]。
運用
[編集]単車の割にモーターの出力が大きいので主に登坂線で使用されたが整備不良のためのモーター焼けが多かった。戦災で15両が全焼し600型として復旧した[6]。1968年までの約40年間活躍した[7]。
保存
[編集]廃車時には9両が保存されたが他の路面電車の保存車と同じように荒廃が進み現在は横浜市電保存館の523号車のみが現存する。この523号車は戦災復興時に改番が行われており旧車号は521であった[8]。また市電保存館のハマジオラマの案内カウンターは当系列がモチーフとなっている[要出典]。
脚注
[編集]- ^ a b 長谷川弘和 2001, p. 164.
- ^ 朝日新聞社『世界の鉄道 昭和39年版』1963年、168-169頁。
- ^ 横浜市電保存館の展示案内標識
- ^ 岡田誠一、澤内一晃 2009, p. 19-21.
- ^ 岡田・澤内 2009a, p. 38.
- ^ 岡田・澤内 2009b, p. 8.
- ^ 『横浜市電 下 (戦後の歴史とその車輌)』[要ページ番号]
- ^ 長谷川 2001, p. 162.
参考文献
[編集]- 岡田誠一、澤内一晃『横浜市電 上 (戦災までの歴史とその車輌)』ネコ・パブリッシング、2009年7月。ISBN 9784777052585。
- 岡田誠一、澤内一晃『横浜市電 下 (戦後の歴史とその車輌)』ネコ・パブリッシング、2009年8月。ISBN 9784777052592。
- 長谷川弘和『横浜市電が走った街 今昔 ハマの路面電車定点対比』JTB、2001年10月。ISBN 4-533-03980-4。