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横浜市営トロリーバス

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
横浜市営トロリーバス
横浜市交通局の徽章
車両が描かれた冊子
車両が描かれた冊子
概要
種別 無軌条電車
現況 廃止
起終点 起点:横浜駅西口
終点:横浜駅西口
運営
開業 1959年7月16日 (1959-07-16)
廃止 1972年4月1日 (1972-4-1)
使用車両 車両の節を参照
路線諸元
電化 直流600 V 架空電車線方式
トロリーバス運転系統図
テンプレートを表示
停留場・施設・接続路線

廃止時を示す(今尾 2008 pp.25,40-41)。

相鉄本線 
STR+r uexSTR+l uexSTRq uexBHFq uexSTR+r
 常盤園
和田町交差点 
STR uexBHF uexBHF
 横浜新道
和田町 
HST uexSTR uexBHF
 岡沢町
和田町 
STR uexBHF uexBHF
 市民病院
常盤園下 
STR uexBHF uexBHF
 三ツ沢西町
峰岡町 
STR uexBHF uexBHF
 三ツ沢上町
星川 
HST uexSTR uexBHF
 三ツ沢小学校
峰小学校前 
STR uexBHF uexBHF
 三ツ沢中町
天王町 
HST uexSTR uexBHF
 三ツ沢下町
宮田町 
STR uexBHF uexBHF
 島田橋
東海道本線貨物線 
v-STR+r STR uexSTR uexBHF
 ガーデン下
東海道本線・横須賀線 
vSTR+r-STR STR uexSTR uexSTR STR+l
 東急東横線
西横浜 
vSTR HST uexSTR uexBHF STR
 松本
市電  洪福寺 
emKRZ uexTBHFxeq uexSTR HST
 反町
浅間町車庫 
vSTR STR uexBHF uexBHF STR
 泉町中央
浅岡橋 
vSTR STR uexBHF uexBHF STR
 泉町
浅間下 
vSTR STR uexTBHFxaq uexSTRq uexSTRq uexTBHFx emKRZ
 鶴屋町三丁目
平沼橋 
vSTR HST uexSTR uexSTR STR
 市電
岡野町 
emKRZ uexTBHFxe uexSTRq
uexSTRr STR
 横浜駅西口
←市電 
vSTR STRl STRq
STR
vSTR STR+l
STRq STRr
vSTR-STRl STRq STRq KRZo
STRq STRq
 東海道本線貨物線
vSTRl- STRq STRq KRZo
STRq STRq
 東海道本線・横須賀線
STR+l STRr+l
STRq STRq
 京浜東北線
京急本線 
STRq KRZo KRZo
STRq STRq
 京急本線
STR
 根岸線

横浜市営トロリーバス(よこはましえいトロリーバス)は、横浜市交通局が運営していた無軌条電車(トロリーバス[1]日本で最も遅く開業し、最後まで残った都市型トロリーバスである[2]。起伏の多い横浜駅北部の住宅街を一周する環状運転を行っていた。

概要

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横浜市営トロリーバスは1959年7月16日に12両で開業した。開業当初は常盤園前から横浜駅西口を経由して三ツ沢西町で折り返し運転を行っていたが、同年12月に三ツ沢西町 - 常盤園前間が開通し、横浜駅西口を起点とする環状運転となった。運行系統番号は101系統(内回り)と102系統(外回り)であり、営業キロ数は9.5キロメートルだった[3][4]。開業当初よりワンマン運転を実施していた[5]。車庫として浅間町車庫があった。

1964年東京オリンピックでは三ツ沢競技場サッカー会場となり、選手や観客の輸送に活躍した[5]

横浜市電の累積赤字[注釈 1]が原因で、1963年には横浜市電を廃止し、トロリーバス化することが「横浜国際港都建設総合基幹計画」改訂版に明文化された[6]。しかし、これは同年、市長が飛鳥田一雄に変わったことによる計画変更で実現しなかった。1961年度からはトロリーバス事業は黒字であったが、他部門の赤字を補填できる規模ではなかった。また国道1号国道16号を走行するため、トロリーバスも交通渋滞に巻き込まれるようになった。1966年10月には横浜市交通局が財政再建団体に指定され、「交通事業財政再建計画」により市電とトロリーバスの廃止が計画された。1971年度にトロリーバス事業は再び赤字に転落し、その年度末である1972年3月31日に最終運行をおこない、横浜市電とともに全廃された[7]

また廃止の理由はこのほかにも、モータリゼーションによる自動車の爆発的増加で慢性的な道路渋滞の影響が発生し、トロリーバス・市電ともに定時運行が困難となっていたこと[2][1]、車体の更新時期を迎えたが、バス1台約350万円に対しトロリーバスは1両約1,200万円であったこと[2]、市電と共用だった変電所を市電廃止後は単独で維持しなければならないこと[2]、などが挙げられる。

廃止翌日より横浜市営バス201・202系統が代替運行され現在に至る。

歴史

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  • 1959年7月16日 三ツ沢西町 - 横浜駅西口 - 常盤園前間が開業
    • 101系統:三ツ沢西町 - 常盤園前;103系統:横浜駅西口 - 三ツ沢西町(平日ラッシュ時のみ)
  • 1959年12月1日 三ツ沢西町 - 岡沢町 - 常盤園前間が開業し、全通
    • 101系統:内回り循環;102系統:外回り循環
  • 1972年3月31日 運行最終日(法令上の廃止日は翌4月1日)

輸送実績

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年度 旅客輸送人員(千人)
1963 8,080
1966 8,930
1970 8,666

車両

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100形
導入時期によって差異がある。
  • 一次車 (101-112) - 開業時に導入。1959年東急車輛製造(三菱ふそうのシャーシに東急車輛の車体を装架)。車内はセミクロスシート。
  • 二次車 (113-115) - 1960年製造。一次車とほぼ同形。
  • 三次車 (116-118) - 1962年製造。車体は富士重工業の13形ボディ(シャーシは三菱ふそう)。塗色は市電末期と同様のクリームに青帯。車内はロングシート。
  • 四次車 (119・120) - 1963年製造。三次車と同形。
  • 五次車 (121-124) - 1967年4月末に廃止となった川崎市営トロリーバスの700形を譲受し、ワンマン化改造の上で使用。

接続路線

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脚注

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注釈

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  1. ^ 1947年時点の赤字は6031万円、1972年時点の累積赤字は91億5,125円。

出典

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  1. ^ a b 横浜市営交通の歴史 (PDF)”. 横浜市. 横浜市交通局 (2022年1月31日). 2022年3月19日閲覧。
  2. ^ a b c d 鉄道ピクトリアル』No.279、pp.74-75。
  3. ^ 『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.224
  4. ^ 【横浜市電保存館映像シアターNo.11】横浜市電が走った街 トロリーバスが走る動画
  5. ^ a b 『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.226
  6. ^ 『横浜市営交通八十年史』横浜市交通局 2001年、p.234
  7. ^ 『横浜市史II 第三巻(上)』pp.263-266。

参考文献

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関連項目

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外部リンク

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