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橋本太吉

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橋本太吉

橋本 太吉(はしもと たきち、1872年 7月15日(明治5年6月10日[1][2][3])- 1933年昭和8年)8月28日[4][5])は、明治から昭和前期の実業家政治家衆議院議員

経歴

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広島県[4]御調郡尾道町(現尾道市[5][6][7])で、醸造業・橋本長三の長男として生まれる[3][注釈 1]。1885年(明治18年)家督を相続[3]。1891年(明治24年[注釈 2])12月、慶應義塾を卒業した[2][3][4][7][8]

帰郷後、尾道市会議員に就任[2][3][4][5][6][7]。また、尾道電灯社長、尾道米塩肥料取引所理事を務めた[2][3][5][6][7]。1900年(明治33年)4月、横浜の原合名会社(原富太郎)輸出部支配人に就任し1904年(明治37年)6月まで在任した[2][6][7]。その後、家業の醸造業、さらにアルミニウム工業を営み、中外石油アスファルト取締役、日本リンネット取締役、東海化学工業取締役、日本夏帽取締役、日本軽銀製造監査役などを務めた[2][3][4][6][7]

1908年(明治41年)5月、第10回衆議院議員総選挙に広島県尾道市から無所属で出馬して初当選[9]。その後、1917年(大正6年)4月の第13回総選挙まで再選され[9][10]、最後に正交倶楽部に所属して衆議院議員に連続4期在任した[4][5]。この間、海軍参与官に推薦されたが辞退している[8]

1933年8月に鎌倉で病のため死去した[8]

国政選挙歴

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脚注

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注釈

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  1. ^ 橋本家は尾道の旧家で太吉はその分家の出身。『広島県先賢伝』41頁。
  2. ^ 『現代日本の政治家』中正会7頁では明治27年。

出典

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  1. ^ 衆議院『第三十六回帝国議会衆議院議員名簿』〈衆議院公報附録〉、1915年、22頁。
  2. ^ a b c d e f 『広島県紳士名鑑』尾道市之部8頁。
  3. ^ a b c d e f g 『人事興信録 第4版』は67頁。
  4. ^ a b c d e f 『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』502頁。
  5. ^ a b c d e 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』355頁。
  6. ^ a b c d e 『現代日本の政治家』中正会7-8頁。
  7. ^ a b c d e f 『大日本人物名鑑 巻4の1』11-12頁。
  8. ^ a b c 『広島県先賢伝』41頁。
  9. ^ a b c d e 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』69頁。
  10. ^ a b 『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』95頁。

参考文献

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  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。
  • 細井肇『現代日本の政治家』國光社、1916年。
  • 『広島県紳士名鑑』国民教育普及社、1917年。
  • 衆議院事務局編『衆議院議員総選挙一覧 自第7回至第13回』衆議院事務局、1918年。
  • 『大日本人物名鑑 巻4の1』ルーブル社出版部、1921年。
  • 『総選挙衆議院議員略歴 第1回乃至第20回』衆議院事務局、1940年。
  • 『広島県人名辞典・附録 広島県先賢伝』歴史図書社、1976年。
  • 衆議院・参議院『議会制度百年史 - 衆議院議員名鑑』大蔵省印刷局、1990年。