武田勝信
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 慶長12年8月4日(1607年9月24日) |
死没 | 延宝8年9月6日(1680年10月28日) |
改名 | 大勝(幼名)→勝信 |
別名 | 通称:喜三郎、大隈、大蔵 |
主君 | 上杉定勝→綱勝→綱憲 |
藩 | 出羽米沢藩士 |
氏族 | 米沢武田家 |
父母 | 父:武田信清、母:平田常範の娘 |
兄弟 | 勝信、時信、本庄重長正室 |
妻 | 本庄長房の娘 |
子 |
長尾景光室、色部利長室、信次、色部清長、武田信秀室 養子:信秀 |
武田 勝信(たけだ かつのぶ)は、江戸時代前期の米沢藩士。米沢武田家2代当主。武田信安 、長尾景貞は孫にあたる。
生涯
[編集]慶長12年(1607年)8月4日、米沢藩士・米沢武田家初代である武田信清の嫡子として米沢で生まれる。
寛永4年(1627年)、本庄長房の娘を正室に迎える。同19年(1642年)、父・信清の病死により家督を相続する。禄高1000石。藩主・上杉定勝の偏諱を受けて勝信と名乗る。慶安元年(1648年)、藩主・綱勝の命で通称を大隈と改める。寛文3年(1663年)、上杉家の減封により禄高500石。延宝2年(1674年)、上杉綱憲の命で通称を大蔵と改める。延宝8年9月6日没。享年74。