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武田勝信

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
武田勝信
時代 江戸時代前期
生誕 慶長12年8月4日1607年9月24日
死没 延宝8年9月6日1680年10月28日
改名 大勝(幼名)→勝信
別名 通称:喜三郎、大隈、大蔵
主君 上杉定勝綱勝綱憲
出羽米沢藩
氏族 米沢武田家
父母 父:武田信清、母:平田常範の娘
兄弟 勝信、時信本庄重長正室
本庄長房の娘
長尾景光室、色部利長室、信次色部清長武田信秀
養子:信秀
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武田 勝信(たけだ かつのぶ)は、江戸時代前期の米沢藩士。米沢武田家2代当主。武田信安長尾景貞は孫にあたる。

生涯

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慶長12年(1607年)8月4日、米沢藩士・米沢武田家初代である武田信清の嫡子として米沢で生まれる。

寛永4年(1627年)、本庄長房の娘を正室に迎える。同19年(1642年)、父・信清の病死により家督を相続する。禄高1000石。藩主・上杉定勝偏諱を受けて勝信と名乗る。慶安元年(1648年)、藩主・綱勝の命で通称を大隈と改める。寛文3年(1663年)、上杉家の減封により禄高500石。延宝2年(1674年)、上杉綱憲の命で通称を大蔵と改める。延宝8年9月6日没。享年74。

嫡男の信次は夭折したため、妹の嫁ぎ先本庄重長の三男・信秀を婿養子に迎えた。