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武藤勝彦 (官僚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

武藤 勝彦(むとう かつひこ、1895年明治28年)2月7日 - 1966年昭和41年)8月16日)は、参謀本部陸地測量部の測量官を務めた陸軍技師内務官僚。地理調査所長を経て初代国土地理院長を務めた。

経歴

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埼玉県本庄市出身。旧制熊谷中学[1]第八高等学校から大学予科第二部乙類[2]を経て1922年(大正11年)3月31日東京帝国大学理学部物理学科卒業[3]後、同年9月11日山形高等学校教授に任官(高等官七等)[4]。陸軍工兵曹長を経て、1925年(大正14年)5月18日陸地測量師に任官[5]し陸地測量部付となる[6]1926年(大正15年)3月31日陸軍工兵少尉に昇進し[7]1930年(昭和5年)4月1日後備役編入となる[8]1938年(昭和13年)8月16日理学博士京都帝国大学[9]

終戦を受け陸地測量部解体後、1945年(昭和20年)12月27日内務技師(高等官二等)として地理調査所長を命ぜられ[10]1960年(昭和35年)7月1日地理調査所から改称した国土地理院の初代院長に就任。1961年(昭和36年)3月31日に国土地理院長を退官後は日本道路公団顧問、日本測量協会顧問を経て、日本測量協会会長を務めた。

1966年(昭和41年)8月16日に死去し、没後従三位に叙せられた[11][12]

栄典

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親族

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著作

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  • 武藤勝彦『地圖の話』岩波書店、東京〈少國民のために〉、1942年。 

脚注

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  1. ^ 埼玉県立熊谷中学校一覧国立国会図書館2024年10月12日閲覧
  2. ^ 『官報』第897号、大正4年7月28日。
  3. ^ 『官報』第2935号、大正11年5月17日。
  4. ^ 『官報』第3035号、大正11年9月12日。
  5. ^ 『官報』第3819号、大正14年5月19日。
  6. ^ 『官報』第3820号、大正14年5月20日。
  7. ^ 『官報』第4079号、大正15年4月1日。
  8. ^ 『官報』第988号、昭和5年4月18日。
  9. ^ 『官報』第3568号、昭和13年11月25日。
  10. ^ 『官報』第5710号、昭和21年1月28日。
  11. ^ a b 『官報』第11909号、 昭和41年8月23日。
  12. ^ a b 『官報』第11910号、 昭和41年8月24日。
  13. ^ 『官報』第3052号、大正11年10月2日。
  14. ^ 『官報』第531号、昭和3年10月1日。
  15. ^ 『官報』第1954号、昭和8年7月7日。
  16. ^ 『官報』第2771号附録、昭和11年3月31日。
  17. ^ 『官報』第3355号、昭和13年3月12日。
  18. ^ 『官報』第3476号、昭和13年8月4日。
  19. ^ 『官報』第3737号、昭和14年6月22日。
  20. ^ 『官報』第4456号付録、昭和16年11月14日。
  21. ^ 『官報』第4556号、昭和17年3月19日。
  22. ^ 『官報』第11670号、昭和40年11月4日。

外部リンク

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官職
先代
地理調査所長から改称
日本の旗国土地理院
1960年 - 1961年
次代
奥田豊三