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毛利郁子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
もうり いくこ
毛利 郁子
毛利 郁子
『消えた小判屋敷』
生年月日 (1933-04-25) 1933年4月25日(91歳)
出生地 日本の旗 日本 高知県幡多郡宿毛町
(現・宿毛市
身長 160cm
職業 女優
ジャンル 映画
活動期間 1956年 - 1969年
活動内容 1956年 大映入社
1957年 大映東京撮影所作品でデビュー
1959年 大映京都撮影所に異動
1969年 引退
配偶者 不詳
主な作品
透明人間と蝿男
青蛇風呂
眠狂四郎女妖剣
眠狂四郎多情剣
妖怪百物語
妖怪大戦争
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毛利 郁子(もうり いくこ、1933年4月25日 - )は、日本の元女優。グラマー女優と称され時代劇でも活躍したが、男女関係のもつれから妻子持ちの男性を刺殺し1973年まで服役した。

来歴

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1933年(昭和8年)4月25日高知県幡多郡宿毛町(現在の高知県宿毛市)の呉服商の家に生まれる[1]高知県立宿毛高等学校を卒業後、親戚の経営する大分県別府市の旅館でフロント係を勤めていた1955年(昭和30年)、「全国温泉旅館美女コンテスト」で「ミス温泉」に選ばれた[2][3]

その後上京し、俳優座の委託研究生を経て大映に第10期ニューフェイスとして入社したのは1956年のことである[1]

1957年(昭和32年)、大映東京撮影所が製作した特撮映画透明人間と蝿男』でデビュー[1]、現代劇の女優としてキャリアを始めた。当時の公称サイズは「身長160センチ、バスト96センチ、ウエスト55センチ、ヒップ92センチ」としており、大映の紺野ユカ、東宝中田康子新東宝前田通子三原葉子万里昌代左京路子筑紫あけみ松竹泉京子炎加世子日活筑波久子白木マリ、東映の小宮光枝と並ぶグラマー女優と称された[4]。撮影所にペットとして持ち込むほどのヘビ好きとして知られ、猟奇的な映画で抜群の存在感を発揮した、とされ多く報道もされたが、実際にはヘビを怖がらなかったという程度である。本人によると、そういった特徴を喧伝されたほうがいいのだという旨の話を父親にしていた[5]

1958年(昭和34年)6月15日に公開された弘津三男監督の『白蛇小町』で初めて大映京都撮影所作品に出演し、1959年(昭和34年)、東京撮影所から京都撮影所に異動、以降、時代劇女優に転向する。同年1月22日に公開された弘津三男監督の『青蛇風呂』では、主演女優の座を勝ち取っている。以降、怪談映画をはじめ、勝新太郎の「座頭市シリーズ」や市川雷蔵の「眠狂四郎シリーズ」など、100本近い作品に出演した。1960年代の日本映画の斜陽期において、妖艶な演技で映画界を牽引した。殊に「眠狂四郎シリーズ」の第4作『眠狂四郎女妖剣』と第7作『眠狂四郎多情剣』において演じた「将軍家息女・菊姫」役は、その鬼気迫る演技と存在感は作品に鮮烈な印象を残した。

1964年(昭和39年)10月28日に放映を開始した連続テレビ映画風雲児半次郎 唐芋侍と西郷』(監督安田公義/井沢雅彦、東伸テレビ映画/毎日放送)にも出演している。再上映やビデオ発売の多い『妖怪百物語』『妖怪大戦争』での、ろくろ首役も名高い。

1969年(昭和44年)12月14日朝、当時交際していた妻子持ちの男性(交際は7年越し、毛利との間に当時3歳の男児を儲けていた)を包丁で刺殺、翌日自供し逮捕される。現役の女優が殺人を犯すのは初めてであった。事件直後の同年12月20日に公開された自身最後の出演作『秘録怪猫伝[1]は、ヒット作となった。

報道によると、その男性から別れ話を切り出され将来の生活が不安になったため、脅してでも彼の態度をはっきりさせようと広峰山兵庫県姫路市)のドライブウエーに停めた乗用車の中で翻意を促したが、応じてくれないので持っていた包丁を見せた。それでも彼は「やれるものならやってみぃ」と言ったので上腹部を刺した。1970年(昭和45年)4月17日、神戸地方裁判所姫路支部は求刑通り懲役7年の判決を言い渡した[6][7]

大映社長の永田雅一、共演者の勝新太郎らは減刑嘆願書を提出した[8][9]

1970年(昭和49年)9月17日、大阪高等裁判所は被告人にも同情すべき点はあると一審判決を破棄、懲役5年を言い渡す。判決理由の中で「ひたすら愛情を傾けていたのに彼に冷たくされ、子供の認知についても渋られ、将来に不安を感じていた被告人の立場には同情すべき点がある。また、子供も小さいので長い刑期は適切ではない」などと述べた[6][7]。この判決は確定し、毛利は和歌山刑務所に収監されて服役。模範囚として減刑され[10]、3年後の1973年仮釈放された[1]。その間、1971年(昭和46年)12月までには大映は破産していた。

出所後は芸能界を引退し、東京都内クラブで働いたとされる[10]

2012年(平成24年)6月現在、100本近い毛利の出演作のうち、『透明人間と蝿男』(1957年)、『次郎長富士』『紅あざみ』『初春狸御殿』(1959年)、『ぼんち』(1960年)、『続 惡名』(1961年)、『座頭市物語』『斬る』『殺陣師段平』(1962年)、『新選組始末記』『手討』(1963年)、『座頭市血笑旅』(1964年)、『大殺陣 雄呂血』(1966年)、『座頭市牢破り』(1967年)の14作が東京国立近代美術館フィルムセンターに所蔵されている[11]

出演作

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特に断らない限り「製作大映京都撮影所、配給大映」である([12][13][14])。

1950年代
1960年
1961年
1962年
  • 女と三悪人』 : 監督井上梅次、1962年1月3日公開
  • 化身』 : 監督森一生、1962年1月14日公開 - 「かよ」役
  • 三代の盃』 : 監督森一生、1962年3月4日公開
  • 座頭市物語』 : 監督三隅研次、1962年4月18日公開 - 「繁造女房お豊」役
  • 斬る』 : 監督三隅研次、1962年7月1日公開 - 「若山」役
  • 『てなもんや三度笠』第22話「吉田通れば」:ABC(キー局)、1962年9月30日放送[16]
  • 殺陣師段平』 : 監督瑞穂春海、1962年9月30日公開 - 「丸髷の女」役
  • 瘋癲老人日記』 : 監督木村恵吾、製作大映東京撮影所、配給大映、1962年10月20日公開 - 「ひろみ」役
1963年
  • 新選組始末記』 : 監督三隅研次、1963年1月3日公開
  • 影を斬る』 : 監督池広一夫、1963年3月1日公開
  • 悪名市場』 : 監督森一生、1963年4月28日公開
  • 宿無し犬』 : 監督田中徳三、1963年5月2日公開 - 「マダム」役
  • 手討』 : 監督田中徳三、1963年5月29日公開
  • 長脇差忠臣蔵』 : 監督渡辺邦男、1962年8月12日公開 - 「お加代」役
  • 雑兵物語』 : 監督池広一夫、1963年7月13日公開 - 「居酒屋の女」役
  • 悪名波止場』 : 監督森一生、1963年9月7日公開
  • 抜打ち鴉』 : 監督加戸敏、1962年12月26日公開 - 「お春」役
1964年
1965年
  • 暴れ犬』 : 監督森一生、1965年3月6日公開
  • 悪名幟』 : 監督田中徳三、1965年5月1日公開
  • 続・兵隊やくざ』 : 監督田中徳三、1965年8月14日公開 - 「女」役
  • 密告者』 : 監督田中重雄、1965年11月13日公開 - 「西脇貞子」役
1966年
1967年
1968年
1969年

掲載記事

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国立国会図書館蔵書を中心とした掲載記事の一覧である[18]

  • 「緑蔭 新東宝・姿まゆみ 大映・毛利郁子」、『小説倶楽部』第11巻第6号、桃園書房、1958年6月、巻頭 - 姿まゆみとともに
  • 「毛利郁子・紺野ユカ」、『面白倶楽部』第11巻第13号、光文社、1958年10月、巻末 - 紺野ユカとともに
  • 「黄色い夢 毛利郁子(大映)」小林晃、『小説倶楽部』第12巻第4号、桃園書房、1959年3月、巻頭
  • 「グラマー女優毛利郁子の本番『愛人刺殺事件』」、『サンデー毎日』第49巻第1号、毎日新聞社、1970年1月、p.162-163.
  • 「怪奇女優・毛利郁子が愛人を殺害」、『週刊平凡』第12巻第2号、平凡出版、1970年1月、p.184-185.
  • 「毛利郁子・36歳のあまりにもわびしい半生」、『週刊明星』第13巻第1号、集英社、1970年1月、p.221-225.
  • 「毛利郁子が愛人剌すまで」、『講演時報』第1483号、連合通信社、1970年1月、p.12-16.
  • 「毛利郁子事件でバクロした女優の愛情生活 - スキャンダルの淵をさ迷う女優列伝」『週刊文春』第12巻第1号、文藝春秋、1970年1月、p.32-35.
  • 「ヘビ女優・毛利郁子に勝新らが減刑嘆願」、『週刊明星』第13巻第8号、集英社、1970年3月、p.175-176.
  • 「殺人女優毛利郁子の減刑に全力尽くす永田氏」、『週刊サンケイ』第19巻第10号、サンケイ出版、1970年3月、p.32-33.
  • 「女優毛利郁子に実刑7年の判決」、『週刊平凡』第12巻第18号、平凡出版、1970年4月、p.150-154.
  • 「情報センター・ぎりぎり最終版 毛利郁子」、『週刊明星』第13巻第17号、集英社、1970年5月、p.42-45.
  • 「ワイド大特集 事件スターがたどった運命の足どり 毛利郁子」、『週刊明星』第13巻第30号、集英社、1970年8月、p82-83.
  • 「ミスに選ばれた美女たちの"ミス" 毛利郁子」、『週刊ポスト』第3巻第21号、小学館、1971年5月、p.160-161.
  • 「事件のあとの女のドラマ 永田洋子・奥村彰子・毛利郁子・石川玲子」、『主婦と生活』第30巻第12号、主婦と生活社、1975年9月、p.182-189.
  • 『愛人刺殺事件 蛇女優・毛利郁子 悪女の履歴書』丸川賀世子、『主婦と生活』第38巻第3号、主婦と生活社、1983年3月、p.116-123.
  • 『昭和・平成「女の主役」事件史 第14回 ヘビ女優「毛利郁子」を狂わせた妻子ある男の「嘘」(上)』、『週刊新潮』第45巻第26号、新潮社、2000年7月6日、p.140-143.
  • 『昭和・平成『女の主役』事件史 第14回 ヘビ女優「毛利郁子」を狂わせた妻子ある男の「嘘」(下)』、『週刊新潮』第45巻第27号、新潮社、2000年7月13日、p.148-151.

脚注

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  1. ^ a b c d e 日本映画人名事典 1995, p. 753.
  2. ^ 「ミスに選ばれた美女たちの"ミス"」『週刊ポスト』第3巻第21号、小学館、1971年、160-161頁、doi:10.11501/3379240 
  3. ^ 週刊新潮 2008, p. 54.
  4. ^ 川本三郎「愛しき女優80人」『文藝春秋』第80巻第2号、文芸春秋、2002年2月1日、208頁、全国書誌番号:00021363 
  5. ^ 志村三代子 著「怪物化する女優たち」、内山一樹 編『怪奇と幻想への回路 - 怪談からJホラーへ』森話社〈日本映画史叢書〉、2008年、186-194頁。ISBN 978-4-916087-88-1 
  6. ^ a b 朝日新聞 1970a, p. 11.
  7. ^ a b 朝日新聞 1970b, p. 22.
  8. ^ 「ヘビ女優・毛利郁子に勝新らが減刑嘆願」『週刊明星』第13巻第8号、集英社、1970年、175-176頁、doi:10.11501/1825713 
  9. ^ 「殺人女優毛利郁子の減刑に全力尽くす永田氏」『週刊サンケイ』第19巻第10号、扶桑社、1970年、32-33頁、doi:10.11501/1809437ISSN 0559-9431 
  10. ^ a b 「最前線記者覆面座談会 男優より女優の方がいまは幸せ? かつてのスクリーンのアイドル 原節子、折原啓子らどこでどうしている…」『内外タイムス』内外タイムス社、1975年1月31日、10面。
  11. ^ 所蔵映画フィルム検索システム東京国立近代美術館フィルムセンター、2012年6月24日閲覧。
  12. ^ Ikuko Môri”. IMDb. 2024年4月11日閲覧。
  13. ^ 毛利郁子”. 日本映画データベース. 2014年9月9日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月11日閲覧。
  14. ^ 「毛利郁子」の検索結果”. 一般社団法人日本映画製作者連盟. 2012年12月20日時点のオリジナルよりアーカイブ。2024年4月11日閲覧。
  15. ^ 色の道教えます 夢三夜、日本映画情報システム、文化庁、2012年6月24日閲覧。
  16. ^ てなもんや三度笠 前田製菓(第22話)吉田通れば”. テレビドラマデータベース. 2024年4月11日閲覧。
  17. ^ 風雲児半次郎 唐芋侍と西郷(人斬り半次郎)”. テレビドラマデータベース. 2024年4月11日閲覧。
  18. ^ 毛利郁子国立国会図書館、2012年6月24日閲覧。

参考文献

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  • 『日本映画人名事典 女優篇<下巻>』(初版第一刷)キネマ旬報社、1995年8月25日。ISBN 4-87376-141-7 
  • 「大女優も殺人犯もいる「ミスコン100年」美女たちの栄光と転落」『週刊新潮』第53巻第11号、新潮社、2008年3月20日、52-55頁、ISSN 0488-7484NAID 40015899904 
  • 「女優毛利郁子懲役七年の刑 愛人刺殺事件に判決」『朝日新聞』1970年4月17日、東京夕刊、11面。
  • 「控訴審で懲役五年 愛人殺しの毛利郁子」『朝日新聞』1970年9月18日、東京・朝刊、22面。

関連項目

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外部リンク

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