水野忠盈
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時代 | 江戸時代前期 - 中期 |
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生誕 | 寛文2年12月6日(1663年1月15日) |
死没 | 元禄12年8月4日(1699年8月28日) |
別名 | 粂之助(通称) |
諡号 | 太雲公 |
戒名 | 鉄船道駕太雲院 |
墓所 | 茨城県結城市の護龍山万松寺 |
官位 | 従五位下、豊前守 |
幕府 | 江戸幕府 |
主君 | 徳川綱吉 |
藩 | 三河国岡崎藩主 |
氏族 | 水野氏 |
父母 | 父:水野忠春、母:前田利次の娘・梅(清光院) |
兄弟 | 忠直、忠盈、政之助、忠之、内匠、重富 |
妻 | 正室:心涼院(本多忠平の養女・本多忠義の娘) |
子 |
久、照(京極高栄正室) 養子:忠之 |
水野 忠盈(みずの ただみつ)は、三河岡崎藩の第3代藩主。忠元系水野家4代。
寛文2年(1662年)12月6日、第2代藩主水野忠春の次男として江戸藩邸で生まれる。兄の忠直の死により嫡子となり、延宝6年(1678年)、従五位下、豊前守に叙位・任官する。元禄5年(1692年)、父が死去したため家督を継ぐ。元禄7年(1694年)、西の丸大手門番に任じられ、以後も京都上使役、奥詰など諸役を歴任した。
元禄12年(1699年)8月4日に死去した。享年38。男子がなく、跡を弟で養子の忠之が継いだ。
系譜
[編集]父母
正室
子女
- 久
- 照 ー 京極高栄正室
養子
- 水野忠之 ー 実弟