永井康友
永井 康友 | |||||||||||||||||||||||||
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1993年鈴鹿8耐にて | |||||||||||||||||||||||||
国籍 | 日本 | ||||||||||||||||||||||||
生年月日 |
1965年10月29日 埼玉県 | ||||||||||||||||||||||||
死亡年月日 |
1995年9月12日 (29歳没) オランダ、アッセン | ||||||||||||||||||||||||
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永井 康友(ながい やすとも、1965年10月29日 - 1995年9月12日)は、埼玉県出身のオートバイ・ロードレースライダー。日本人で初めてボルドール24時間耐久ロードレース優勝。
略歴
[編集]1989年、全日本ロードレース国際A級デビュー。以後、ヤマハのワークスライダーとして活躍。
1995年、スーパーバイク世界選手権に日本人として初めてのフル参戦開始。第10戦オランダ(アッセン)第2ヒートで、エンジンブローを起こしたファブリツィオ・ピロバーノのドゥカティ・916のオイルが撒き散らされていた。ピロバーノは自らのオイルに乗って転倒。立ち上がると即座にコースマーシャルに対して、オイルフラッグを出せとアピールしたという。
しかし、永井はそのオイルに乗ってしまい転倒。投げ出され滑走する永井の前を滑走するマシンが宙に舞い上がり、その間に、滑走し続ける永井の体がマシンに追いつき、そこへマシンが降り落ちてきた。マシンに押しつぶされた永井は、意識不明のままアッセン市内の病院へ運ばれた。
事故の報を受けて日本から駆けつけた家族と婚約者が見守る中、9月12日(日本時間9月13日)息を引き取った。29歳。葬式は築地本願寺で行われ、弔辞はケニー・ロバーツが読み上げた。
この事故の後にスーパーバイク選手権のレギュレーションが下記のように変更された。(1)エンジンブローしたオイルを受けるよう、トレー形状のアンダーカウルの装着義務化。(2)ステップの先端は丸く、樹脂製のキャップを付けなければならない。
1996年、永井の遺志を継ぐべく、吉川和多留が(1995年ランキング5位で終えた)永井のナンバー「5」でフル参戦した。
戦歴
[編集]1986年 - ロードレースデビュー(筑波選手権SP2)
1987年 - SP忠男レーシング加入
- 筑波選手権ノービスF3 チャンピオン
- 筑波選手権ノービスSP400 チャンピオン
- 筑波選手権ノービスGP250 ランキング2位
- 鈴鹿4時間耐久ロードレース6位(加藤義昌)
1988年 - ジュニア昇格
- 全日本選手権ジュニアGP250 チャンピオン(4勝)
- 全日本選手権ジュニアTT-F3 ランキング3位(2勝)
- 鈴鹿ジュニア4時間耐久レースリタイヤ(福智学)
- 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング3位
- TTフォーミュラ世界選手権SUGO大会TT-F1 2位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(斉藤光雄)
1990年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング11位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース4位(加藤信吾)
1991年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング2位(1勝)
- 鈴鹿8時間耐久ロードレースリタイヤ(藤原儀彦)
1992年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング5位(1勝)
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース11位(藤原儀彦)
1993年 - 全日本ロードレース選手権TT-F1 ランキング3位(4勝)
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース32位(藤原儀彦)
1994年 - 全日本ロードレース選手権スーパーバイク ランキング6位(2勝※ヒートレース含)
- スーパーバイク世界選手権SUGO大会 第1ヒート3位、第2ヒート5位
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース4位(エディ・ローソン)
- ボルドール24時間耐久ロードレース優勝(クリスチャン・サロン、ドミニク・サロン)
1995年 - スーパーバイク世界選手権 ランキング5位(ヒート最高位2位)
- 鈴鹿8時間耐久ロードレース5位(コーリン・エドワーズ)
- デイトナスーパーバイク200マイルレース7位
スーパーバイク世界選手権
[編集]シーズン別
[編集](凡例)(太字はポールポジション、斜体はファステストラップ)
年 | メーカー | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 | 10 | 11 | 12 | 順位 | ポイント | ||||||||||||
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R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | R1 | R2 | ||||
1994年 | ヤマハ | GBR | GBR | GER | GER | SMR | SMR | SPA | SPA | AUT | AUT | INA | INA | JPN 3 |
JPN 5 |
NED | NED | SMR | SMR | GBR | GBR | AUS | AUS | 25位 | 26 | ||
1995年 | ヤマハ | GER 4 |
GER 4 |
SMR 13 |
SMR 18 |
GBR 14 |
GBR 7 |
ITA 5 |
ITA 4 |
SPA 9 |
SPA 6 |
AUT 5 |
AUT 6 |
USA 10 |
USA 5 |
EUR Ret |
EUR 4 |
JPN 3 |
JPN 2 |
NED 7 |
NED 5 |
INA | INA | AUS | AUS | 5位 | 188 |