永井直与
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時代 | 江戸時代後期 |
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生誕 | 天明5年4月27日(1785年6月4日) |
死没 | 弘化3年7月7日(1846年8月28日) |
改名 | 虎之助(幼名)、直与 |
戒名 | 徳翁宗寿瑞鳳院 |
墓所 | 京都市東山区の悲田院 |
官位 | 従五位下、飛騨守 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 摂津高槻藩主 |
氏族 | 永井氏 |
父母 | 父:永井直進、母:松平信礼の娘・喜鶴 |
兄弟 |
直与、直成、伊奈忠敬、堀田正義、 植村泰成、中川忠愛、永井直和 |
妻 | 正室:太田資順の娘、継室:松浦清の娘・伯 |
子 |
直寛、直輝、 娘(阿部正瞭正室・松平康任養女) |
永井 直与(ながい なおとも)は、摂津高槻藩の第10代藩主。
略歴
[編集]天明5年(1785年)4月27日、第9代藩主永井直進の長男として生まれる。寛政12年(1800年)12月16日、従五位下左京亮に叙任する。後に飛騨守に改める。文化6年(1809年)8月23日、直進の隠居により家督を相続する。
幕領5万900石を預かる。文政5年(1822年)3月18日、京都火消役を命じられる。天保9年(1838年)4月7日、京都火消役を命じられる。天保13年(1842年)11月18日、隠居して次男の直輝に家督を譲る。弘化3年(1846年)7月7日に死去した。享年62。
藩財政再建のため、藩政改革を行い、農業技術の向上や菜種生産の増加、藩校創設による教育の普及などを行うが、村方騒動が起こって失敗した。