池田仲庸
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時代 | 江戸時代中期 |
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生誕 | 享保6年7月6日(1721年7月29日) |
死没 | 宝暦8年6月12日(1758年7月16日) |
改名 | 達次郎・右膳(幼名)、仲庸 |
戒名 | 清障院雲外弘庸 |
墓所 | 鳥取県鳥取市国府町奥谷の池田家墓所 |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 因幡国鹿奴藩主 |
氏族 | 池田氏 |
父母 | 父:池田仲央、母:五月氏 |
兄弟 | 仲庸、輝子(松平定温室)、邦子、央章、鵜殿央堯、利久、庸熈 |
子 | 澄延、延俊、安之助、数計子(勧修寺経逸室) |
池田 仲庸(いけだ なかつね)は、因幡鹿奴藩(鳥取東館新田藩)の第3代藩主。
略伝
[編集]享保6年(1721年)7月6日、第2代藩主・池田仲央の長男として鳥取館で生まれる。
宝暦3年(1753年)に父が死去したため家督を継ぎ、12月18日に従五位下・摂津守に叙位・任官する。江戸城常盤橋門番に任じられ、宝暦7年(1757年)には大手組防火に任じられる。宝暦8年(1758年)2月に公家接待役に任じられるが、間もなく病に倒れ、6月12日に鳥取館で死去した。享年38。
跡を長男・澄延が継いだ。