池田由孝
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時代 | 江戸時代前期 |
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生誕 | 寛永18年10月2日(1641年11月4日) |
死没 | 元禄9年11月14日(1696年12月8日) |
改名 | 通称は主水。初名は由昌。諱は由孝、由方、成方。 |
墓所 | 天城池田家墓所(岡山県倉敷市) |
幕府 | 江戸幕府 |
藩 | 備前岡山藩 |
氏族 | 池田氏、天城池田家 |
父母 | 池田由成、上月三郎右衛門の娘 |
兄弟 | 由貞、由有、由孝、千子(池田直長室)、百子(岡田元昌室)、夏子(池田信成室)、益子(栗津元房室)、熊子(大石良昭室) |
妻 | 正室:斎藤九右衛門の娘・光 |
子 | 由勝、由道、竹子(岡田元豊室)、本子(土肥忠平室) |
池田 由孝(いけだ よしたか)は、江戸時代前期の岡山藩の家老。天城池田家3代当主。
生涯
[編集]寛永18年(1641年)、岡山藩家老・池田由成の三男として生まれる。寛文4年(1664年)、幕府の証人(人質)として江戸に下る。同年知行1,000石を賜る。寛文5年(1665年)7月、大名証人制度が廃止されたため、許されて岡山に戻る。寛文8年(1668年)2月に兄・由有が死去したため嫡男となり、同年7月1日、父の隠居に伴い家督と知行3万2,000石を相続し、備前天城邑主となる。
門閥家老として津田永忠と激しく対立し、その排除を諫言書をもって藩主綱政に訴えた。
元禄9年(1696年)11月14日、天城で没した。享年56。家督は嫡男由勝が相続した。
赤穂事件で知られる大石良雄(大石内蔵助)は、姉熊子の子で甥にあたる。
参考文献
[編集]- 『池田老臣累記』
- 『備前家老略伝』