法月惣次郎
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法月 惣次郎(のりづき そうじろう、1912年(明治45年)1月1日 - 1995年(平成7年)3月12日)は望遠鏡製作者。静岡県焼津市生まれ[1]。
概要
[編集]鉄工所を経営するかたわら、日本初のパラボラ式電波望遠鏡の製作をはじめとし、約400台の望遠鏡を作った。その多くが天文台、研究所、大学で使用され、日本の天文学を支えた。「日本には、秘密の精密工場があるに違いない」と、世界中の技術者に言わしめた、天体望遠鏡製作の世界的権威であったが、本人は生涯を職人気質で通した。大胆かつ緻密な手法に、世界中の天文学者、技術者からの信頼を得ていた。
製作した主な望遠鏡には、美星天文台101cm赤道儀式天体望遠鏡、早稲田大学2.4m電波望遠鏡、栃木県子ども総合科学館75cm赤道儀式天体望遠鏡などがある。
年譜
[編集]- 1912年(明治45年)1月、志太郡和田村(現在は焼津市)で生まれる。
- 1926年(大正15年)3月、和田村立和田尋常高等小学校高等科卒業。
- 同年4月、松永重兵衛氏(旧焼津町鍛冶屋)に丁稚奉公に入る。(14歳)
- 1933年(昭和8年)4月、谷内村鉄工(静岡市木工機械製作)に勤務。(21歳)
- 1934年(昭和9年)、(株)マルクニ鉄工所(旧清水市草薙)に入社
- 1936年(昭和11年)3月、蒔山ふさと結婚。(25歳)
- 同年4月、法月鉄工所を創立(フライス盤などの機械を製作)
- 1943年(昭和18年)4月、市内鉄工所6社と合併。三和製作所焼津工場となり、その所長に就任。(32歳)
- 同年12月、焼津女子商業学校設立陳情書に署名。
- 1945年(昭和20年)8月、終戦。三和製作所の再建を図りながら、個人経営を兼務。
- 1948年(昭和23年)、島田理化工業株式会社との取引開始。
- 1949年(昭和24年)2月、三和製作所解散。(三和鉄工所が引き継ぐ)
- 1950年(昭和25年)、名古屋大学空電研究所の赤道儀式パラボラ電波望遠鏡を製作納付。(第一号)
- 1953年(昭和28年)4月、法月鉄工所を法人組織とする。(41歳)
- 1955年(昭和30年)4月、上野博物館及び東京天文台設置用太陽電波望遠鏡等の製作、諸測定器の製作。
- 1957年(昭和32年)11月、伊藤精機株式会社と契約。松平式振動試験機の製作。
- 1966年(昭和41年)12月、名古屋大学空電研究所へ3m電波望遠鏡34基納入。
- 同年同月 電波研究所平磯支所の10mパラボラアンテナ設置工事、測定器の生産継続。
- 1968年(昭和43年)1月東京天文台8m電波望遠鏡23基、野辺山へ据付。
- 同年8月、東京天文台6m電波望遠鏡架台製作、三鷹へ据付。
- 1969年(昭和44年)3月、郵政省電波研究所衛星磁気モーメント測定装置納入。
- 1970年(昭和45年)5月、35GHz太陽波追尾装置51基名古屋大学納入。
- 1973年(昭和48年)2月、太陽電波写真用パラボラ装置17基、名古屋大学理学部へ納入。
- 同年6月、1.1m赤外線望遠鏡、京都大学理学部へ納入。
- 1974年(昭和49年)3月、東京大学宇宙研、内之浦実験場60センチ望遠鏡納入。
- 同年 12月名古屋大学全自動太陽電波受信装置、及び赤道儀式反射鏡付パラボラアンテナ17基納入。国土地理院、40cm望遠鏡納入。
- 1975年(昭和50年)2月、東京天文台堂平観測所、3.8m望遠鏡納入。
- 同年 12月海上保安庁伊豆白浜観測所、赤道儀式60cm望遠鏡納入。
- 1976年(昭和51年)3月、国立公害研究所、経緯儀式1.5m望遠鏡納入。
- 1977年(昭和52年)2月、株式会社法月鉄工所、解散。(65歳)
- 1978年(昭和53年)1月、法月技研、個人経営にて再発足。(66歳)
- 1979年(昭和54年)3月、海上保安庁下里水路部観測所、赤道儀式60cm望遠鏡納入。
- 1980年(昭和55年)3月、宇宙開発事業団筑波宇宙センター、磁気観測装置4台納入。
- 1981年(昭和56年)3月、東京天文台野辺山観測所、太陽電波望遠鏡90GHzミリ波納入。
- 1982年(昭和57年)3月、名古屋大学理学部、4mミリ波電波望遠鏡納入。
- 1983年(昭和58年)3月、東洋大学工学部、4mミリ波電波望遠鏡納入。
- 1984年(昭和59年)2月、駿台学園軽井沢天文台、経緯儀式75cm天体望遠鏡1台納入。
- 1985年(昭和60年)7月、東京ガス、30cmレーザーレーダー望遠鏡納入。
- 同年8月、日原天文台、経緯儀式75cm天体望遠鏡納入。
- 1987年(昭和62年)12月、栃木県子ども総合科学館、赤道儀式75cm天体望遠鏡1台納入。
- 1990年(平成2年)3月、早稲田大学2.4m電波望遠鏡64台納入。
- 1993年(平成5年)3月、美星町天文台、101cm赤道儀式天体望遠鏡納入。
- 同年、焼津市のディスカバリーパーク焼津天文科学館に80cm赤道儀式天体望遠鏡を納入。静岡県内最大の望遠鏡。また最後の製作物となった[2]。
- 1995年(平成7年)3月、83歳にて永眠。
上記以外の望遠鏡、機器納入先
[編集]表彰
[編集]法月技研
[編集]1977年(昭和52年)2月の株式会社法月鉄工所が解散後、法月惣次郎が翌年1月に個人的に設立した。工場は和田神社(焼津市田尻)の東側にあったが、現在は昭和鉄工が使用している。多くの天文学者、技術者などが彼を慕い、そこに集まった。