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波号第百一潜水艦

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
波号第百一潜水艦
戦後撮影された波百一型潜水艦 左から順に波101、波104、波102 手前には海龍が3隻繋留されている (1945年12月8日[注釈 1]、横須賀港)
戦後撮影された波百一型潜水艦
左から順に波101、波104波102
手前には海龍が3隻繋留されている
(1945年12月8日[注釈 1]横須賀港
基本情報
建造所 進水まで川崎重工業泉州工場
進水後は川崎重工業艦船工場
運用者  大日本帝国海軍
艦種 潜水艦
級名 波百一型潜水艦
建造費 2,135,000円
艦歴
計画 マル戦計画
起工 1944年6月8日
進水 1944年8月22日
竣工 1944年11月22日
最期 1945年10月海没処分[注釈 1]
除籍 1945年9月15日
要目(竣工時)
基準排水量 370トン
水中排水量 493トン
全長 44.50m
垂線間長 42.20m
6.10m
吃水 4.04m
機関 中速400型ディーゼル1基
蓄電池 一号十七型120個
主電動機 特十型複巻直流電動機 150馬力 1基
推進 1軸
出力 水上 400bhp
水中 150shp
速力 水上 10ノット
水中 5ノット
燃料 重油25トン
航続距離 水上 3,000カイリ/10ノット
水中 46カイリ/2.3ノット
潜航深度 100m
乗員 定員26名
特修兵教員最大21名
搭載能力 貨物60トン
兵装 25mm機銃 単装1基
レーダー 13号電探1基
ソナー 九三式水中聴音機
その他 九九式測探儀
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波号第百一潜水艦[注釈 2](はごうだいひゃくいちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦波百一型潜水艦の1番艦。太平洋戦争を生き延び、戦後海没処分された。

艦歴

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マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の1番艦、仮称艦名第4601号艦として計画。1944年6月8日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4602号艦と同時に起工。20日、波号第百一潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の1番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。8月22日、波号第102潜水艦と同時に進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。9月1日、艤装員事務所を神戸市川崎造船所内に設置し事務を開始。

11月22竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に定められる。23日、第六艦隊第十一潜水戦隊に編入され、同日へ向け神戸発。24日呉着。28日まで呉で整備を行い、伊予灘で訓練と訓令実験に従事。

12月8日、能力試験に供するため大竹に帰投。9日、呉へ回航し整備を行う。13日から25日まで、海軍潜水学校による各種能力試験に従事。17日から18日までは無線兵装試験を行う。18日から20日までは日本海で行動。21日大竹に帰投。呉へ回航後整備を行い、29日から再び伊予灘で訓練に従事。

1945年1月7日、別府湾に帰投。9日から23日まで伊予灘で訓練に従事。23日呉に帰投し整備を行う。27日、第六艦隊第七潜水戦隊に編入され、横須賀へ回航。軍隊区分先遣部隊第七潜水部隊に配置され、偵察と哨戒に従事。

3月20日、第七潜水戦隊が解隊され、第六艦隊隷下に新編された第十六潜水隊に編入。4月2日、第十六潜水隊司令潜水艦に指定される。

5月5日、蓄電池が内部短絡により破損したため、横須賀海軍工廠で修理を行う。12日から14日まで、相模灘で潜航訓練を行う。12日、第十六潜水隊司令部から陸軍潜航輸送艇の深々度潜航訓練に関する通報を受ける。13日と14日は横須賀海軍航空隊の水上偵察機と連合訓練を行う。16日から17日まで、横須賀で米袋の揚塔訓練を行う。整備後の30日、相模灘で確認運転を行う。

6月、本艦をガソリン輸送潜水艦とすることが決定される。

終戦時は横須賀に所在。9月15日除籍。本艦は1945年10月に清水沖でアメリカ海軍により海没処分されたとするのが定説だが、同年12月8日に横須賀でアメリカ軍により撮影された写真が複数存在するため、最期の状況は不明瞭である[注釈 1]

潜水艦長

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艤装員長
  1. 國弘信治 大尉:1944年8月31日 - 1944年11月22日
潜水艦長
  1. 國弘信治 大尉:1944年11月22日 - 1945年3月20日
  2. 倉科康介 大尉:1945年3月20日 - 1945年7月25日
  3. 神保正春 大尉:1945年7月25日 - 1945年9月15日[注釈 3]

脚注

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注釈
  1. ^ a b c 写真の撮影日は世界の艦船『日本潜水艦史』(1993)p. 89、世界の艦船『日本潜水艦史』(2013)p. 107(こちらは別アングルからの撮影)、福井静夫『写真 日本海軍全艦艇史』下巻p. 691でそれぞれ1945年12月8日としているが、それぞれの書のp. 88、p. 106、資料篇 p. 艦歴表18ではいずれも「(昭和)20年10月清水で処分」と記述しており、同じ書籍中で写真の撮影年月日と海没処分年月との相関がとれていない。
  2. ^ 本来の艦名表記は波號第百一潛水艦。
  3. ^ 艦の除籍に伴う自動解職。
脚注

参考文献

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  • 海軍省
    • 昭和19年6月20日付 達第202号、内令第778号、内令第779号、内令員第1062号。
    • 昭和19年11月22日付 内令第1288号、内令員第2303号、内令員第2304号。
    • 昭和20年3月20日付 内令第250号。
    • 昭和19年9月11日付 秘海軍公報 第4796号。
    • 昭和19年10月16日付 秘海軍公報 第4828号。
    • 昭和19年11月30日付 秘海軍公報 第4865号。
    • 昭和19年9月2日付 秘海軍辞令公報 甲 第1582号。
    • 昭和19年11月29日付 秘海軍辞令公報 甲 第1655号。
    • 昭和20年3月28日付 秘海軍辞令公報 甲 第1757号。
    • 昭和20年8月3日付 秘海軍辞令公報 甲 第1876号。
    • 呉鎮守府戦時日誌。
    • 第十一潜水戦隊戦時日誌。
    • 第十六潜水隊戦時日誌。
    • 第六艦隊戦時日誌。
    • 波号第百九潜水艦戦時日誌。
  • 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
  • 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
  • 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
  • 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
  • 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
  • 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
  • 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
  • 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。