波号第百八潜水艦
表示
波号第百八潜水艦 | |
---|---|
基本情報 | |
建造所 |
進水まで川崎重工業泉州工場 進水後は川崎重工業艦船工場 |
運用者 | 大日本帝国海軍 |
艦種 | 潜水艦 |
級名 | 波百一型潜水艦 |
建造費 | 2,135,000円 |
艦歴 | |
計画 | マル戦計画 |
起工 | 1944年9月5日 |
進水 | 1944年12月28日 |
竣工 | 1945年5月6日 |
最期 | 1946年4月1日海没処分 |
除籍 | 1945年11月30日 |
要目(竣工時) | |
基準排水量 | 370トン |
水中排水量 | 493トン |
全長 | 44.50m |
垂線間長 | 42.20m |
幅 | 6.10m |
吃水 | 4.04m |
機関 |
中速400型ディーゼル1基 蓄電池 一号二十一型120個 主電動機 特十型複巻直流電動機 150馬力 1基 |
推進 | 1軸 |
出力 |
水上 400bhp 水中 150shp |
速力 |
水上 10ノット 水中 5ノット |
燃料 | 重油25トン |
航続距離 |
水上 3,000カイリ/10ノット 水中 46カイリ/2.3ノット |
潜航深度 | 100m |
乗員 |
定員26名 特修兵教員最大21名 |
搭載能力 | 貨物60トン |
兵装 | 25mm機銃 単装1基 |
レーダー | 13号電探1基 |
波号第百八潜水艦[注釈 1](はごうだいひゃくはちせんすいかん)は、日本海軍の潜水艦。波百一型潜水艦の8番艦。太平洋戦争末期に竣工して練習任務に従事し、戦後海没処分された。
艦歴
[編集]マル戦計画の輸送潜水艦小型、第4601号艦型の8番艦、仮称艦名第4608号艦として計画。1944年9月5日、川崎重工業泉州工場で仮称艦名第4610号艦と同時に起工。10月5日、波号第百八潜水艦と命名されて波百一型潜水艦の8番艦に定められ、本籍を呉鎮守府と仮定。11月28日、艤装員事務所を川崎神戸造船所内に設置し事務を開始。12月28日、進水。進水後の艤装は川崎重工業本社艦船工場で行う。
1945年5月6日竣工し、艤装員事務所を撤去。本籍を呉鎮守府に、役務を呉鎮守府練習兼警備潜水艦にそれぞれ定められ、呉潜水戦隊第三十三潜水隊に編入。以後、戦備作業と訓練に従事。
6月中旬頃、舞鶴へ回航し訓練を継続。終戦時は舞鶴に所在。11月30日、海軍省の廃止に伴い除籍。
1946年4月1日、五島列島キナイ島沖でアメリカ海軍により海没処分された。
潜水艦長
[編集]- 艤装員長
- 神保正春 大尉:1944年11月15日 - 1945年5月6日
- 潜水艦長
- 神保正春 大尉:1945年5月6日 - 1945年7月25日
- 大城實 大尉:1945年7月25日 - 1945年11月29日
脚注
[編集]- 注釈
- ^ 本来の艦名表記は波號第百八潛水艦。
- 脚注
参考文献
[編集]- 海軍省、第二復員省
- 昭和19年6月20日付 内令員第1062号。
- 昭和19年10月5日付 達第341号、内令第1148号、内令第1150号、内令員第1966号。
- 昭和20年5月6日付 内令第397号、内令第398号、内令員第919号、内令員第920号。
- 昭和19年10月16日付 秘海軍公報 第4828号。
- 昭和19年12月3日付 秘海軍公報 第4868号。
- 昭和20年5月17日付 秘海軍公報 第5014号。
- 昭和19年11月18日付 秘海軍辞令公報 甲 第1646号。
- 昭和20年5月23日付 秘海軍辞令公報 甲 第1807号。
- 昭和20年8月3日付 秘海軍辞令公報 甲 第1876号。
- 昭和20年12月20日付 第二復員省辞令公報 甲 第17号。
- 呉鎮守府戦時日誌。
- 波号第百九潜水艦戦時日誌。
- 世界の艦船 No. 469 増刊第37集 『日本潜水艦史』、海人社、1993年。
- 世界の艦船 No. 791 増刊第114集 『日本潜水艦史』、海人社、2013年。
- 福井静夫 『写真 日本海軍全艦艇史』、ベストセラーズ、1994年。ISBN 4-584-17054-1
- 福井静夫 『昭和軍艦概史III 終戦と帝国艦艇 -わが海軍の終焉と艦艇の帰趨-』、出版共同社、1961年。
- 防衛研修所戦史室 戦史叢書 第88巻 『海軍軍戦備(2) -開戦以後-』、朝雲新聞社、1975年。
- 丸スペシャル No. 43 日本海軍艦艇シリーズ『日本の潜水艦III』、潮書房、1980年。
- 丸スペシャル No. 132 日本海軍艦艇発達史『日本の潜水艦I』、潮書房、1988年。
- 明治百年史叢書 第207巻 『昭和造船史 第1巻(戦前・戦時編)』、原書房、1977年。