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浦野光

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
うらの ひかる
浦野 光
プロフィール
本名 浦野 光[1][2]
性別 男性
出身地 日本の旗 日本神奈川県
生年月日 (1931-09-22) 1931年9月22日
没年月日 (2018-05-02) 2018年5月2日(86歳没)
血液型 A型[3]
身長 175 cm[4]
職業 声優俳優ナレーター
活動
活動期間 1950年代 - 2008年[要出典]2018年
声優テンプレート | プロジェクト | カテゴリ

浦野 光(うらの ひかる、1931年9月22日[5][2][4] - 2018年5月2日[6][7])は、日本の声優俳優ナレーター神奈川県出身[5]

来歴

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神奈川県小田原市で育ち、父親の仕事の都合で東京府三重県四日市市と移り住む[8]

早稲田大学商学部を経て[8][2]、設立されたばかりの中部日本放送放送劇団に応募した[8]。一度は落選するが、1953年(昭和28年)春、二期生の募集に再度応募し合格した[8][9]。養成期間を経て、ナレーションでデビュー後、3年でラジオ東京放送劇団に移籍した[8][2]。吹き替えの仕事を開始した後、フリーとなり[8]、タレントエージェント[10]、シナリオ文芸協会[4]、グループだいこん[11]、セブンセンター[12]、クリエイティブオフィスZなどに所属した[1]

テレビ草創期からラジオドラマ等に出演し、洋画吹き替えではジェームズ・スチュアートロバート・ミッチャムを担当した[8]。このキャスティングはNETテレビのプロデューサーだった植木明によるもので[8]、特にスチュアートの作品はそのほとんどで声を担当している。『ウルトラマン』、『ウルトラセブン』に代表されるナレーション担当作品では淡々とした語り口が特徴である一方で、吹き替えを担当した『ポパイ』や『世界の料理ショー』などでは全く対照的なハイテンションで弾けた演技を聴くことが出来、幅広い役柄に持ち味を出している。

1960年代から90年代にかけて、花王提供のワイドショー番組(『モーニングショーテレビ朝日)』、『アフタヌーンショー(同)』、『3時にあいましょうTBS)』)で同社の契約タレントとして生コマーシャルを担当していた。

2018年5月2日に86歳で死去した[7]。その訃報は9月に発売された特撮映画のムック本『別冊映画秘宝 特撮秘宝』Vol.8(洋泉社)で、河崎実(映画監督)が浦野を追悼する一文を寄せたことにより明らかにされた[7]

人物、エピソード

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  • 浦野の演技論として「非常に不自然で、元の俳優に失礼に値する」とのことから声を変えるということはなく、ごく自然なままの演技を心掛けてきている[8]。また、声優の専門学校出身で吹替をしている近年の若手に対しては「(声を変えることから入っているが故に)ひとりずつの表現ができていない」「(演技が)表面的になってしまっている」といった苦言を呈している[8]
  • 現役の頃は過去の出演作で名前を覚えられることにかなり抵抗があると話しており、「私達のような仕事をしている人は、あまり昔の仕事を思い出したくないんですよ。昔のままのイメージで思われている事は僕にとって悲しい事ですね。それ以後、何もないという事ですから。」と語り、また持ち役のポパイの再演のオファーも断り続けてきたとしているも[13]、実際は一線を退く1990年代後半頃まで様々な媒体でポパイを再演し続けている。
  • ポパイで共演した熊倉一雄によると新人時代にアテレコの直前に下痢を理由にブースを退出した共演者と自身の役を生放送で演じ分けるという荒業を披露するも兼任した役の方に力が入ってしまい自身の役の演技がおざなりになってしまったためディレクターから叱責されたことがあるという[14]
  • 晩年は活動を積極的に行っていなかったが、インタビューに応えたり、イベントや吹替の新録などで以前の持ち役の再演をすることはあった。また 2008年4月6日放送の『大胆MAP 顔を見てみたいアニメキャラクター30人全部見せちゃうよ! 春の撮れたて新作SP』(テレビ朝日)にポパイの声優として顔出し出演した。番組内でオリーブ役の京田尚子に直接電話をかけ、約50年ぶりの声の共演を実現させた。なお、晩年のテレビ出演はこれが唯一[要出典]で8月31日放送の『人気アニメキャラクターの声をやっている人の顔あいうえお順に全部見せちゃうよSP』でもこの時のダイジェストが放送された。
  • 趣味は釣り、園芸(洋蘭)[3]

出演作品

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太字はメインキャラクター。

吹き替え

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担当俳優

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ジェームズ・スチュアート
ロッド・テイラー
ロバート・ミッチャム

映画

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1967年
1968年
1972年
1989年

ドラマ

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1962年
1963年
1964年
1965年
1966年
1967年
1968年
1969年
1971年
1972年
1974年

人形劇

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1964年
1965年
  • 海底大戦争 スティングレイ ※TBS版
    • 第21話 『地獄から来た男』(軍医〈デビッド・グラハム〉)
1968年

アニメ

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1959年
1964年
1969年

放映日不明

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特撮

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1966年

1967年

1971年

1972年

1973年

1979年

1984年

1993年

1994年

1996年

テレビアニメ

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ラジオ

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  • 赤胴鈴之助
  • 浦野光のサン・サン・サタデー(文化放送、1978年4月1日 - 1981年4月4日)
  • TOYOTA MUSIC IN LOVE(1981年4月11日 - )※途中から山本コウタローと交代

テレビドラマ

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映画

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  • 大吉ぼんのう鏡(1962年)
  • 影狩り(1972年) - ナレーター

CM

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書籍

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  • 僕らを育てた声 浦野光編(アンド・ナウの会)

舞台

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その他

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  • 野生の王国(1963年 - 1968年) - ナレーター
  • ウルトラセブン ソノシート(1967年 - 1968年) - ナレーター
  • ドキュメンタリーDVD「ウルトラヒロイン伝説 アンヌからセブンへ」(2002年) - ナレーター
  • ウルトラ情報局(2004年3月号) - ゲスト出演

関連人物

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  • チョー - 浦野と声質が似ており、浦野のモノマネを得意とする[要出典]声優。1990年代に行われた追加収録やパチンコのポパイ役を浦野の代理で担当したことがある。

脚注

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  1. ^ a b 『声優事典』(第二版)キネマ旬報社、1996年、49頁。ISBN 4-87376-160-3 
  2. ^ a b c d 「新桜オールスタァ名鑑」『芸能画報』3月号、サン出版社、1958年。 
  3. ^ a b 『声優名鑑 アニメーションから洋画まで…』近代映画社、1985年、27頁。 
  4. ^ a b c 『タレント名鑑NO2』芸能春秋社、1963年、17頁。 
  5. ^ a b 『声優名鑑』成美堂出版、1999年、372頁。ISBN 4-415-00878-X 
  6. ^ 日俳連ニュースNo.167[要文献特定詳細情報]
  7. ^ a b c d e f g 河崎実「追悼・浦野光」『別冊映画秘宝 特撮秘宝』Vol.8、洋泉社、2018年10月18日、224頁、ISBN 978-4-8003-1545-8 
  8. ^ a b c d e f g h i j 浦野光(インタビュアー:とり・みき)「『眼下の敵 コレクターズ・ブルーレイBOX』浦野光|インタビュー」『吹替の帝王, 20世紀フォックス ホーム エンターテイメント ジャパン』。オリジナルの2015年2月17日時点におけるアーカイブhttps://web.archive.org/web/20150217051419/http://video.foxjapan.com/library/fukikae/interview26.html2014年9月19日閲覧 
  9. ^ 飯塚恵理人中部日本放送放送劇団の資料について」『椙山女学園大学研究論集 人文科学篇』第43号、椙山女学園大学、2012年、61-68頁、CRID 1050001202954324352ISSN 1340-4040NAID 120005990974 
  10. ^ 出演者名簿』《昭和36年度版》日本著作権協議会、1961年、57頁。 
  11. ^ 『出演者名簿』《昭和46年度版》著作権情報センター、1970年、63頁。 
  12. ^ 『出演者名簿』《昭和49年度版》著作権情報センター、1973年、67頁。 
  13. ^ 『スクリーン』1978年7月号[要文献特定詳細情報]
  14. ^ 朝日新聞 1969年6月15日 『アテレコいまむかし』より
  15. ^ 大西部への道”. 洋画専門チャンネル ザ・シネマ. 2023年8月15日閲覧。
  16. ^ “劇映画 「汚れなき悪戯」ラディスラオ・バホダ 監督 スペイン映画”. https://www.nhk.or.jp/archives/chronicle/detail/?crnid=A196806152000001300100 2024年8月3日閲覧。 
  17. ^ 劇映画 「情熱の友」デビッド・リーン 監督 イギリス映画(1949年)”. 2024年2月28日閲覧。
  18. ^ テープ早回しで合成。
  19. ^ 決断 - メディア芸術データベース
  20. ^ a b 「テレビの話題・テレビスタアの演技」『芸能画報』1 2月号、サン出版社、1957年。 
  21. ^ 松原英治 (1960). “名古屋新劇団の続出”. 名古屋新劇史. 門書店. p. 181 
  22. ^ ウルトラライブステージ”. ウルトラマンフェスティバル2016. 2016年8月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2016年8月6日閲覧。

外部リンク

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