コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

海馬島 (猿払村)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
海馬島

海馬島(画像右上に見える2つの小さな岩礁)の空中写真。
2018年8月5日撮影。国土交通省 国土地理院 地図・空中写真閲覧サービスの空中写真を基に作成。
所在地 北海道宗谷郡猿払村
所在海域 オホーツク海
座標 北緯45度21分36.8秒 東経142度9分58.2秒 / 北緯45.360222度 東経142.166167度 / 45.360222; 142.166167座標: 北緯45度21分36.8秒 東経142度9分58.2秒 / 北緯45.360222度 東経142.166167度 / 45.360222; 142.166167
面積 0.00008[1] km²
最高標高 2.7 m
海馬島 (猿払村)の位置(北海道内)
海馬島 (猿払村)
海馬島 (猿払村)の位置(日本内)
海馬島 (猿払村)
     
プロジェクト 地形
テンプレートを表示

海馬島(とどじま、とどしま)は、北海道宗谷郡猿払村に属する

概要

[編集]

2つの岩礁によって構成された無人島であり、浜鬼志別漁港の北方に位置し、海岸から約2キロメートル沖に存在する。トド岩とも呼ばれる。

海馬島の近海は船の遭難が多く「魔の暗礁」とされており[2]1939年にはソビエト連邦の船舶インディギルカ号座礁し沈没している[3]。浜鬼志別に建設された浜鬼志別灯台には、海難を防ぐために海馬島照射灯が併設されている[2][4]

トドの回遊

[編集]

島周辺はトド回遊や上陸場として重要な沿岸域であることから「生物多様性の観点から重要度の高い海域」に選定されている[5]

1970年代、トドは漁業者にとって漁具を壊して網の中の魚を食べる厄介な存在であり「海のギャング」扱いされていた。このため冬場になると漁協から依頼されたハンターがトドの駆除を行っており、1975年頃には猿払村一帯で年間約100頭が仕留められていた。

1980年代に行われた調査によると、当時の島は道内で最も多くのトドが上陸する場所であり、多い時には150頭のトドが確認されていた[6]。昔は400頭から500頭ものトドが島に集まっていたとの証言もある[7]

しかし2006年の時点ではほとんど見られなくなっているとされ[8]2014年刊行の『猿払村史』においても、「このごろは余りトドの姿も見られなく」なったため「今では懐かしい」という村民の言葉が記録されている[7]

歴史

[編集]

安政5年(1848年)の調査記録である松浦武四郎の「手控」では、「ヲニシベツ」という地名について沖に島があり「是に朝早くにても必ずよりものが有ると云わけのよし」という語源説を記している[9]。著書『西蝦夷日誌』においても、沖に岩島があって「是へ朝々より物が有を早く見る義より号し」との語源説を載せている[10]。ただしこれが海馬島を指しているのかは判然としない。

1896年発行の『北海道地形図』では、海馬島が名称とともに記載されている[11]1898年刊行の『日本水路誌』には「海馬トヾ島」について、2つの「低岩」によって構成され「南岩」の最高標高は9フィートとしている[12]1909年刊行の『大日本地名辞書 続編』では、「鬼主オヌシュ」から1海里の距離に「海馬トド島」があるとしている[13]1930年発行の海図では"Todo Sima"と英字表記されている[14]1937年刊行の『北海道宗谷郡猿払村勢要覧』では、海馬島として3つの島を描き大きい島の南に小さな島を2つ記載している[15]

1939年(昭和14年)12月12日午前2時頃、ソビエト連邦の客貨船インディギルカ号が悪天候の中漂流中に海馬島に座礁、少し流されてから沈没した。429人が救助されたものの700人近くが死亡・行方不明[16]

日本の排他的経済水域の外縁を決める島の一つであるが[17]、無主の国境離島であったため2016年国有財産台帳への登載が行われた[18]

脚注

[編集]
  1. ^ 『島嶼大事典』日外アソシエーツ、1991年、214頁。ISBN 978-4-8169-1113-2
  2. ^ a b 猿払村史編纂発行委員会 編『猿払村史』猿払村、1976年、479頁。
  3. ^ オホーツクに消えた囚人船の謎 リアルライブ 2016年7月13日
  4. ^ 平成28年度 稚内海上保安部 航路標識保守業務 仕様書 第一管区海上保安本部交通部
  5. ^ 沿岸域 10104 海驢島周辺(原文ママ) 環境省自然環境局 自然環境計画課
  6. ^ 平成27年度国際漁業資源の現況57 トド 北太平洋沿岸・オホーツク海・ベーリング海 水産庁水産総合研究センター
  7. ^ a b 猿払村史編さん発行委員会 編『猿払村史』第2巻、猿払村、2014年、747-748頁。
  8. ^ 和田昭彦「宗谷岬弁天島におけるトド調査始まる」マリンネット北海道
  9. ^ 秋葉実 翻刻編『松浦武四郎選集 五』北海道出版企画センター、2007年、394頁。ISBN 978-4-8328-0712-9
  10. ^ 秋葉実 解読『武四郎蝦夷地紀行』北海道出版企画センター、1988年、235頁。
  11. ^ 北海道地形図 地図資料 札幌市中央図書館デジタルライブラリー
  12. ^ 『日本水路誌』第5巻(北洲全部及北島諸島)、海軍省水路部、1898年、91頁。NDLJP:847181
  13. ^ 『大日本地名辞書 続編』195頁。
  14. ^ 海図33号 外邦図デジタルアーカイブ
  15. ^ 北海道宗谷郡猿払村勢要覧 昭和11年 北方資料デジタル・ライブラリー
  16. ^ ソ連船が遭難、水死・不明七百三十人『東京日日新聞』(昭和14年12月14日)『昭和ニュース辞典第7巻 昭和14年-昭和16年』p739 昭和ニュース事典編纂委員会 毎日コミュニケーションズ刊 1994年
  17. ^ 木場弘子『今後の国境離島の保全、管理及び進行のあり方』懇談会 〜国境離島の理解促進に向けた広報活動〜」2013年10月7日
  18. ^ 平成28年度に国有財産台帳への登載を行った離島(273島)一覧 内閣府ホームページ

関連項目

[編集]