涙をとどけて (スティーヴィー・ワンダーの曲)
「涙をとどけて」 | ||||
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スティーヴィー・ワンダー の シングル | ||||
初出アルバム『涙をとどけて』 | ||||
B面 | 「アイム・モア・ザン・ハッピー」 | |||
リリース | ||||
録音 | 1969年8月26日(トラック)1970年2月26日(ホーン追加) 1970年4月23日(リードボーカル、インストゥルメンタルオーバーダブ) 1970年4月28日(追加録音) | |||
ジャンル | ソウル、ポップス | |||
時間 | ||||
作詞・作曲 | スティーヴィー・ワンダー、リー・ギャレット、シリータ・ライト、ルーラ・ハーダウェイ | |||
プロデュース | スティーヴィー・ワンダー | |||
スティーヴィー・ワンダー シングル 年表 | ||||
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「涙をとどけて」(Signed,Sealed,Delivered I'm Yours) は、アメリカ合衆国のシンガーソングライターであるスティーヴィー・ワンダーが1970年に発表した楽曲。
解説
[編集]この曲はスティーヴィーとその母親のルーラ、リー・ギャレットとシリータ・ライトとの合作である。
ギャレットとスティーヴィーとは初期のモータウンのツアーで、フィラデルフィアで知り合って以来の親友であり、ギャレットも生まれつきの盲目で、1963年にフィラデルフィアに居を構えてから、当地のミュージシャンに興味を持っていた。スティーヴィー同様、ユーモアやいたずら好きなところがあり、ともに盲目の黒人ミュージシャンとして、取り違える人が多かったようである。のちにフィラデルフィアのディスクジョッキーになり、1967年にはデトロイトのFM局WGPRに移り、スティーヴィーと再会している。
シリータ・ライトは、歌手になることを夢見つつ、モータウンで秘書を勤めており、スティーヴィーは彼女のことが気に入り、彼がモータウンのグループを実験的ベースでプロデュースした際に、リタ・ライトのペンネームで彼女を起用している。スティーヴィーは彼らを自宅に呼び、この曲を共作したわけである。
曲はエレクトリック・シタールで始まり、それから下降し、スティーヴィーの短い叫び、警笛のようなサキソフォンやトランペット、女性グループによる軽いバックコーラスと競うようなヴォーカルへと繋がってゆく。
この曲はスマッシュヒットとなり、同じメンバーで同年スピナーズに書いた「イッツ・ア・シェイム」に加えて、スティーヴィーの才覚を決定的なものにしている[1]。
『ローリング・ストーン』誌が選ぶ最も偉大な500曲において、203位にランクされている[2]。
チャート
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週間チャート[編集]
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年間チャート[編集]
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脚注
[編集]- ^ 『スティービー・ワンダー 心の愛』(ジョン・・スウェンソン著、米持孝明訳、シンコー・ミュージック、1987年3月)より「第8章 急成長」より
- ^ “The 500 Greatest Songs of All Time” (英語). Rolling Stone (2021年9月15日). 2021年12月21日閲覧。
- ^ “Stevie Wonder”. Billboard. 2023年1月17日閲覧。
- ^ “Top 100 1970-08-22”. Cashbox Magazine. 2016年3月2日閲覧。
- ^ “Top 100 Hits of 1970/Top 100 Songs of 1970”. Musicoutfitters.com. 2016年10月3日閲覧。
- ^ “Top 100 Year End Charts: 1970”. Cashbox Magazine. 2016年7月27日閲覧。