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清浄寺 (吉川市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
清浄寺
所在地 埼玉県吉川市木売2-20-5
位置 北緯35度52分26秒 東経139度50分36秒 / 北緯35.87389度 東経139.84333度 / 35.87389; 139.84333座標: 北緯35度52分26秒 東経139度50分36秒 / 北緯35.87389度 東経139.84333度 / 35.87389; 139.84333
山号 楠井山
宗派 浄土真宗本願寺派
創建年 弘長元年(1261年
開山 西念
中興年 天保9年(1838年
中興 茂木佐平治
文化財 西念法師塔、南无仏塔(以上、埼玉県指定史跡)、
公式サイト 楠井山清浄寺|埼玉県吉川市の浄土真宗本願寺派寺院
法人番号 3030005010427 ウィキデータを編集
清浄寺の位置(埼玉県内)
清浄寺
清浄寺
清浄寺 (埼玉県)
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清浄寺(しょうじょうじ)は、埼玉県吉川市にある浄土真宗本願寺派寺院

歴史

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1261年弘長元年)、西念によって開山された。西念は親鸞の高弟「二十四輩」の一人で、俗名「井上貞親」といい、信濃国(現・長野県)の井上城城主だった井上氏の出身であった。西念は武蔵国足立郡野田(現・埼玉県さいたま市緑区上野田)に西念寺(廃寺、後に現在の茨城県坂東市西念寺として再興)を創建、水運の要衝であった当地にも「西光院」を創建した。これが当寺の起源である[1][2]

建武期の兵乱の際に、西光院第3世住職西順は、親鸞木像を門前に埋めて隠した。しかし後に西順も寂したため、いつしか忘れ去られてしまった。第4世了西の時に、親鸞像を埋めたところが「むくむく」と動いたため、その場所を掘ったところ親鸞像が出土した。この逸話から「おむくさま」と呼ばれるようになり、別堂の「おむく堂」に安置されることになった[1][2]

その後の戦乱もあり、いつしか浄土真宗の法統は絶え、西光院は真言宗の寺になっていた。1838年天保9年)、下総国野田町(現・千葉県野田市)の醤油醸造家茂木佐平治により、「おむく堂」は浄土真宗の「清浄寺」として分離独立した。その後、真言宗の西光院は廃寺となっている[2]

当寺には、「南无仏塔」というものがある。「无」は「無」の略字体である。現在は埼玉県の史跡に指定されている[3]

文化財

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  • 西念法師塔(埼玉県指定史跡 昭和35年3月1日指定)[4]
  • 南无仏塔(埼玉県指定史跡 昭和35年3月1日指定)[4]

交通アクセス

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脚注

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  1. ^ a b お寺のご紹介清浄寺
  2. ^ a b c 清浄寺真宗教団連合「親鸞聖人を訪ねて」
  3. ^ 花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年、37p
  4. ^ a b 埼玉県文化財目録埼玉県、96p

参考文献

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  • 花井泰子、花井敬、青木忠雄 著『さいたま寺社めぐり 夫婦で訪ねた四季の寺社76選』幹書房、1999年

外部リンク

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