コンテンツにスキップ

英文维基 | 中文维基 | 日文维基 | 草榴社区

湯上谷竑志

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
湯上谷ひろ志から転送)
湯上谷 宏
基本情報
国籍 日本の旗 日本
出身地 富山県黒部市
生年月日 (1966-05-03) 1966年5月3日(58歳)
身長
体重
176 cm
73 kg
選手情報
投球・打席 右投右打
ポジション 二塁手遊撃手三塁手外野手
プロ入り 1984年 ドラフト2位
初出場 1985年8月21日
最終出場 2000年10月28日(日本シリーズ)
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)
選手歴
コーチ歴

湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、本名:湯上谷 宏[1]〈読み同じ〉、1966年5月3日[1] - )は、富山県黒部市出身の元プロ野球選手内野手外野手[1]。愛称はガメガメやん

経歴

[編集]

星稜高では甲子園に4回など全国大会に7回出場。1年生の1982年第64回全国選手権は控え選手、2回戦(初戦)で早稲田実業高荒木大輔に抑えられ大敗[2]。2年生から遊撃手のレギュラーとなる。1983年第55回選抜では、1回戦で井上真二らのいた熊本工業高を降すが、2回戦で横浜商業高三浦将明に完封を喫する[3]

秋の明治神宮大会では初戦をエース川場の好投で鳥取商業高に圧勝し、2回戦の京都商業高戦で湯上谷が先発し、9回裏10-4とリードした場面で四球連発となり、川場が緊急登板したものの結局逆転負けを喫した。京都商業高は同大会で準優勝となった。

1984年第56回選抜も1回戦で佐世保実業高のエース吉田直喜に完封負け[3]。同年第66回全国選手権でも1回戦で別府商業高に9回サヨナラ負け[2]。1年下のチームメートに三塁手鈴木望がいた。

1984年のプロ野球ドラフト会議南海ホークスから2位指名を受け入団[1]

1985年から一軍初出場を果たし、その後も出場機会を増やしていた。

1988年の秋季キャンプ中に右脛骨を骨折。

1989年は一軍不出場に終わった。

1990年からは二塁手のレギュラーとして3年連続で全試合出場を果たす。

1994年から登録名を「湯上谷 竑志」としたが、前年から極度の打撃不振に苦しみこの年も開幕二塁で出場したが状態が改善できず、前年一塁手のレギュラーだった藤本博史が二塁のレギュラーになる。翌年以降も小久保裕紀井口資仁の台頭や浜名千広の二塁コンバートで内野陣の再編が進み、先発出場での機会が減少したが、捕手以外全てを守れる守備力を買われユーティリティプレイヤーとしてチームを支えた。

2000年に現役を引退する。引退を決めたのは同年の日本シリーズの後である。日本シリーズ第5戦で怪我をした小久保裕紀に代わり第6戦で三塁手を守っていたが、巨人の清原和博が打った三ゴロを一塁手の遥か上にいく悪送球をしたことから、自分のプレーができなくなったと引退会見で理由を語った。

現役引退後はフロント入りし、営業を担当。一時福岡ドーム企画営業部に出向し、「元ダイエー・湯上谷がプランニングした観戦ツアー」なるパッケージツアーが企画・販売されたこともあった。

2005年から2007年までソフトバンク育成担当コーチ。

2008年は再びフロントに戻り、野球振興部課長代理を経て、企画室ディレクターを務めた。

2009年からはソフトバンク一軍内野守備走塁コーチ補佐に就任。

2010年は一軍内野守備走塁コーチ。

2011年は二軍内野守備走塁コーチを務めた。コーチ時代は長谷川勇也を育てた[4]

2012年からは西戸崎合宿所の寮長を務める。

2013年11月7日に退団[5]。コーチや寮長としても、本名ではなく現役後期からの登録名であった「湯上谷 竑志」の名義を使用していた。

2014年にはアメリカサンディエゴへ語学留学することが報じられた。その後、2016年時点では九州総合スポーツカレッジ健康管理士として学生の指導にあたっている[6]

2019年福岡のローカル番組[どこ?]に出演した際にはセラピストとして活動していると告白していた(2017年9月より「りらくる」に勤務[7])。

2020年より九州三菱自動車硬式野球部の守備走塁コーチに就任。ここでは本名の「湯上谷 宏」の名で活動[8]。セラピストとしての活動も並行して継続している[9]2023年シーズンをもって退任した[10][11]

選手としての特徴・人物

[編集]

背番号は入団時14、1988年は7、1989年以降は6。俊足を生かした広い守備範囲が特徴で、内外野どのポジションでもこなせるユーティリティプレイヤーだった(二塁668試合、遊撃258試合、三塁233試合、一塁5試合、外野54試合[12])。入団後数年はスイッチヒッターだった。

1990年頃から藤本博史小川史森脇浩司との4人(4人とも名前読みが『ひろし』)で内野を守ることがたびたびあった。

1987年オフには「来季から湯上谷、立浪のフレッシュ二遊間で売り出す」と球団を挙げて公言するなど、南海球団は当時PL学園高校の主将であった立浪和義の獲得と湯上谷・立浪の若手コンビによる二遊間形成を目論んでいたが、結局、立浪は同年のドラフト中日ドラゴンズが獲得し、この構想は幻に終わった[13]

詳細情報

[編集]

年度別打撃成績

[編集]
















































O
P
S
1985 南海
ダイエー
37 141 122 18 32 8 1 1 45 7 6 3 8 1 7 0 3 22 1 .262 .316 .369 .685
1986 60 79 73 9 12 2 0 0 14 2 10 4 2 0 3 0 1 16 0 .164 .208 .192 .400
1987 99 340 291 30 69 6 3 5 96 25 14 5 29 0 19 0 1 53 5 .237 .286 .330 .616
1988 109 459 401 64 114 16 5 9 167 48 16 5 18 6 31 0 3 50 6 .284 .336 .416 .752
1990 130 518 453 70 120 17 2 5 156 27 13 1 15 2 46 1 2 48 9 .265 .334 .344 .678
1991 130 495 425 55 109 17 7 6 158 30 30 5 25 3 40 0 2 52 5 .256 .321 .372 .693
1992 130 410 367 47 105 11 2 6 138 40 15 2 13 4 25 0 1 67 3 .286 .330 .376 .706
1993 117 329 291 25 59 11 3 1 79 22 10 2 7 4 26 0 1 47 5 .203 .267 .271 .539
1994 42 45 41 10 6 1 1 0 9 0 0 0 1 0 3 0 0 10 0 .146 .205 .220 .424
1995 86 217 196 31 49 4 1 1 58 9 14 6 8 0 12 1 0 42 1 .250 .293 .296 .589
1996 86 220 200 31 54 8 1 2 70 20 8 3 3 2 13 0 2 47 4 .270 .318 .350 .668
1997 101 327 296 41 89 10 2 5 118 28 2 1 6 3 18 0 4 52 4 .301 .346 .399 .744
1998 53 110 99 11 28 4 1 1 37 6 0 4 7 0 4 0 0 15 2 .283 .311 .374 .684
1999 20 29 24 2 3 0 0 0 3 1 0 0 2 0 3 0 0 4 0 .125 .222 .125 .347
2000 42 45 38 6 6 2 0 0 8 4 3 0 3 0 4 0 0 7 1 .158 .238 .211 .449
通算:15年 1242 3764 3317 450 855 117 29 42 1156 269 141 41 147 25 254 2 20 532 46 .258 .312 .349 .661
  • 各年度の太字はリーグ最高
  • 南海(南海ホークス)は、1989年にダイエー(福岡ダイエーホークス)に球団名を変更

記録

[編集]
初記録
節目の記録

背番号

[編集]
  • 14(1985年 - 1987年)
  • 7(1988年)
  • 6(1989年 - 2000年)
  • 91(2005年)
  • 97(2006年 - 2007年)
  • 84(2009年 - 2011年)

登録名

[編集]
  • 湯上谷 宏(ゆがみだに ひろし、1985年 - 1993年)
  • 湯上谷 竑志(ゆがみだに ひろし、1994年 - 2000年、2005年 - 2007年、2009年 - 2011年)

出演

[編集]

[編集]

脚注

[編集]
  1. ^ a b c d 『'86プロ野球選手写真名鑑』、日刊スポーツ出版社、1986年4月、P126。
  2. ^ a b 「全国高等学校野球選手権大会70年史」朝日新聞社編 1989年
  3. ^ a b 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
  4. ^ ハローワークに通った“元ホークス選手”の今。マッサージ店の研修も「現役時代の経験が役立った」 日刊SPA!
  5. ^ 退団について福岡ソフトバンクホークス公式サイト2013年11月7日配信
  6. ^ プロ野球選手からアスリートの育成へ 技術、経験、そして健康管理の重要性を伝えたい!” (PDF). 健康管理士ニュース/第122号(平成28年9月号). 2020年7月7日閲覧。
  7. ^ 職歴と学歴”. 本人Facebook. 2020年7月7日閲覧。
  8. ^ 2020年度 九州三菱自動車硬式野球部選手情報”. 九州三菱自動車硬式野球部 オフィシャルブログ (2020年3月11日). 2020年7月7日閲覧。
  9. ^ もっと社会人野球:セラピストとコーチの二刀流 ハローワークにも通った元ダイエー選手」『毎日新聞』2023年11月9日。2023年11月24日閲覧。
  10. ^ @kmg_baseball (2023年11月28日). "【退団スタッフ】81.湯上谷 宏 コーチ 2020年より4年間ご指導していただきました。お疲れ様でした。ありがとうございました。". X(旧Twitter)より2023年11月29日閲覧
  11. ^ 阿佐智「南海戦士、大阪に帰る。ホークスの「いぶし銀」、湯上谷宏、京セラドームに参上【社会人野球日本選手権】」『Yahoo!ニュース』2023年11月10日。2024年12月20日閲覧。
  12. ^ 湯上谷宏
  13. ^ 『負けん気』立浪和義、文芸社、14‐18頁(2010年2月、ISBN 978-4286088532/増補版、文芸社文庫、2014年2月、ISBN 978-4286148939

関連項目

[編集]

外部リンク

[編集]