湯島三組町
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湯島三組町(ゆしまみくみちょう)は、東京都文京区にかつてあった旧地名。元禄時代初頭から昭和40年まで使われた。現在の文京区湯島2丁目、3丁目。
概要
[編集]元和2年(1616年)に徳川家康が駿府で逝去したことにより、家康付きの御家人である中間、小人、駕籠方3組が江戸に帰り、屋敷地として豊島郡峡田領内の当地を賜った[1][2]。駿府にちなんで駿河町と称していたが、元禄9年(1696年)に商家の建設が許され、3組の御家人にちなんで三組町と改称した[1]。味噌商が多いことで知られていた[1]。
明治に入って東京府本郷区湯島三組町となり、1947年に文京区の所属となり、1965年に町名消滅して文京区湯島2丁目、3丁目となった[2]。
主だった商店・施設
[編集]- 西教寺 (文京区) - 寛永7年 (1630年) に釈了賢が建立し、元禄2年(1689)まで当地にあった。
- 伊勢利商店 - 味噌屋。元禄年間の創業と言われる。明治時代の当主は高木利八
- 角茂 - 味噌屋
- 永島屋 - 酒醤油卸売商
- 加賀屋 - 質屋
- 共慣義塾(1870年開校) - 脇慣義塾とも。南部利恭が創設した南部藩の英学校[3]
- 算術占い(餅屋占い)
- 顕真術会本部
- 荻野医院(1885年開業) - 荻野吟子が開業した産婦人科病院[4]
- 女子袋物裁縫教授所(1912年) - 奥村音五郎の指導による半年コースの女子職業訓練所[5]
- 越後屋(1916年) - 缶詰漬物業、杉山長之助
- 石塚医療電機製作所(1934年)
- 小平記念東京日立病院(1960年年開業) - 日立創業者小平家邸宅跡地に同社創業50周年記念として創立。現・東都文京病院。
著名な住人
[編集]- 武井守正
- 武井守成 - 守正の二男
- 高田慎蔵 - 邸宅は元五辻安仲子爵家の土地にジョサイア・コンドル設計で1900年に竣工[6][7]。関東大震災で焼失
- 松原新之助
- 浅羽靖
- 松田道一
- 松田道夫 - 道一の父。判事
- 石崎政蔵
- 石崎丈太郎 - 田島竹之助の弟。石崎政蔵の養子。東京多額納税者
- 石井千治 - 棋士(1900年当時5段)[8]
- 大沢銀次郎 - 棋士(1900年当時5段)[8]
- 川島九 - 医師
- 長谷川吉次 - 弁護士
- 恩田久兵衞 - 地主
- 久佐賀義孝 - 顕真術会、大日本陰陽会会長
- 加藤辰治 - 日本実業銀行監査役
- 松岡文吉 - 富国銀行監査役
- 風祭甚三郞 - 深川区長
- 京極雅雄(高頼) - 子爵。京極高典の八男。
- 飯島次郎(1911年) - 土建業「飯島組」創業者[9]。船越英一郎の母方祖父
- 前田厚長 - 小劇場頭取
- 小幡貞吉(1918年) - 常磐採炭会社、宝永銅山、山形炭砿,東京商工,東北石炭役員[10]
- 杉梅之治(1925年) - 浅草区長[11]
- 小平浪平(1937年より1945年まで)[12]
脚注
[編集]- ^ a b c 湯島三組町『新選東京名所図会』東陽堂、1907年
- ^ a b 湯島三組町(近世~近代)角川日本地名大辞典(旧地名編)
- ^ 南部利恭(1855年~1903年)盛岡市、平成30年12月10日
- ^ 荻野医院開業の地埼玉県、2018年12月3日
- ^ 婦人の職業中央新聞 1912.11.21-1912.12.24 (大正1)
- ^ 高田慎蔵邸、産業技術史データセンター
- ^ 東京地価の昂騰法律新聞 1917.6.15 (大正6)
- ^ a b 囲碁段級人名録岩崎健造 編 (方円社, 1900)
- ^ 実業家 飯島次郎君『信用名鑑』(信用名鑑発行所, 1911)
- ^ 「虚業家」による虚偽的信用補完のビジネス・モデル : “鉱業投資ファンド”大北炭砿の事例を中心に
- ^ 『牛込区名鑑. 大正15年版』小林徳十郎 編 (自治めざまし新報社, 1925)
- ^ 『技術王国・日立をつくった男 創業者・小平浪平伝』加藤勝美、PHP研究所、1985、「小平浪平年譜」
関連項目
[編集]外部リンク
[編集]- 三拾番組(湯島三組町その他)デジタル古地図「東京五拾区縮図」 公益財団法人特別区協議会
- 旧町名案内 旧湯島三組町Monumento
- 東京戦災スケッチ118 湯島三組町Tokyo Museum Collection 東京都歴史文化財団
- 東京市本郷区地籍台帳(昭和7年)文京区立図書館