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源兼子(みなもと の けんし(かねこ)、延喜15年(915年) - 天暦3年9月(949年))は、平安時代中期の賜姓皇族。醍醐源氏。醍醐天皇の皇女で、母は更衣源周子(源唱女)。同母兄弟に持明親王・盛明親王・勤子内親王・都子内親王・雅子内親王・源高明がいた。
延喜20年(920年)12月28日源朝臣姓を賜って左京一条一坊の貫籍(戸籍)に入った。翌年の延喜21年に源高明を戸主とする旨の太政官符民部省の通達を受けた。従四位上に叙せられたが、天暦3年(949年)9月に卒去した。ちなみに兼子の卒去により、天禄3年10月6日に予定されていた止雨奉幣使は延引されることになった。