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源覚

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
 
源覚
時代 平安時代前期
生誕 嘉祥2年(849年
死没 元慶3年10月20日879年11月7日
官位 正四位下宮内卿
主君 清和天皇陽成天皇
氏族 仁明源氏
父母 父:仁明天皇、母:山口氏の娘
兄弟 道康親王宗康親王時康親王人康親王本康親王国康親王常康親王貞登成康親王、新子内親王、親子内親王、平子内親王、柔子内親王、眞子内親王、重子内親王、久子内親王、時子内親王高子内親王
不詳
済、、都
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源 覚(みなもと の さとる)は、平安時代前期の貴族仁明天皇の皇子。官位正四位下宮内卿

経歴

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仁明天皇の皇子として生まれるが、源朝臣姓を与えられ臣籍降下する。貞観11年(869年従四位上に直叙され、翌貞観12年(870年次侍従に任ぜられる。その後、右京大夫を務めると共に、但馬守美濃守と地方官を兼ねる。またこの間、貞観17年(875年清和天皇儒学者らと共に『群書治要』を読んだ際に講席に侍し[1]、貞観18年(876年)清和天皇が譲位した際には左馬寮の監護を務めている[2]

陽成天皇が即位した翌年の元慶元年(877年)正四位下・宮内卿に任ぜられ、元慶3年(879年)8月に送伊勢斎内親王使を務めるが、同年10月20日卒去。享年31。最終官位は宮内卿正四位下。

人物

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聡明鋭敏な質で、幅広い学識があった。有能な官吏として賞賛されたという[3]

官歴

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日本三代実録』による。

系譜

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尊卑分脈』による。

脚注

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  1. ^ 『日本三代実録』貞観17年4月25日条
  2. ^ 『日本三代実録』貞観18年11月28日条
  3. ^ 『日本三代実録』元慶3年10月20日条

出典

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