源雅言

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源雅言
時代 鎌倉時代中期 - 後期
生誕 安貞元年(1227年
死没 正安2年10月26日1300年12月7日
官位 正二位権大納言
主君 後堀河天皇四条天皇後嵯峨天皇後深草天皇亀山天皇後宇多天皇伏見天皇後伏見天皇
氏族 村上源氏雅兼流
父母 父:源雅具
母:土御門院播磨局(高階業国の娘)
兄弟 雅言親頼
雅憲
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源 雅言(みなもと の まさとき)は、鎌倉時代中期から後期にかけての公卿村上源氏雅兼流、権中納言源雅具の長男。官位正二位権大納言

経歴[編集]

以下、『公卿補任』と『尊卑分脈』の内容に従って記述する。

後嵯峨院・亀山院の側近[編集]

本郷和人によれば、雅言は後嵯峨院亀山院の側近公卿として重用されたようである[9]。父雅具が著しく不遇でありながら後嵯峨天皇即位後に急速に昇進し、老年になってからようやく権中納言に至ったことに比べれば常に顕職に就いていた雅言である。権中納言辞任後、権大納言に任ぜられるまで約14年の年月がかかったが、この間も按察使を始め太宰権帥や民部卿に断続的に任ぜられた。

系譜[編集]

脚注[編集]

  1. ^ 父・雅具が権中納言を辞した時の挙任。
  2. ^ 正親町院当年御給。
  3. ^ 喪に服している中であった。
  4. ^ 石清水賀茂に行幸の行事賞。
  5. ^ 右大弁と右京大夫は元の如し。
  6. ^ この年、従三位に昇叙か。
  7. ^ 院当年御給。
  8. ^ 息男雅憲を五位蔵人に挙任のため。
  9. ^ a b 『中世朝廷訴訟の研究』、廷臣小伝。

参考文献[編集]

  • 公卿補任吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉、黒板勝美・国史大系編修会 編。 ※ 文永3年(1266年)に雅言が参議となった時以降の記事。
  • 尊卑分脈』吉川弘文館〈新訂増補国史大系〉、黒板勝美・国史大系編修会 編。 ※「源雅言」および「源雅具」の項。
  • 本郷和人『中世朝廷訴訟の研究』東京大学出版会、1995年。ISBN 978-4-13-020107-0