滝沢邦行
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滝沢 邦行(たきざわ くにゆき、1888年1月17日[1] - 1964年2月19日)は、日本の画家、染色図案家[2]。曲亭馬琴の子孫にあたる[3]。
生涯
[編集]1913年、日本水彩画会創立時の発起人となる(のちに名誉会員)[3]。桜の写生で知られ、研究も行った。文展(現在の日展)に数回入選している。1928年4月には昭和天皇に「名桜選集」を献上、1939年3月には秩父宮・高松宮両妃が「桜花水彩十二図」を鑑賞した。戦後、埼玉県飯能町(現飯能市)に移住し、飯能美術協会の設立に関わった[1]。1964年2月19日、心筋梗塞のため死去。享年76[3]。
馬琴の子孫として
[編集]邦行は曲亭馬琴(滝沢興邦、のちに解)の玄孫にあたる。
馬琴は、長女の幸(さき)に婿の清右衛門を迎え、飯田町の旧宅に住まわせて滝沢家の分家とした。幸夫婦には子がなく、本家の興継(馬琴長男)・路夫妻の長女・次(つぎ)を養女とし、婿養子の弥兵衛を迎えた。しかし、次夫婦にも子がなかったため、本家より幸(さち、興継の次女)・吉之助夫妻の子・橘(きつ)を養女とした。この橘が邦行の母である。
本家も絶えたため、所蔵していた馬琴の遺稿や渡辺崋山の掛軸などの文化財は、散逸しないよう天理大学に保管を委託した[1]。