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相川 茂郷(あいかわ しげさと、1877年〈明治10年〉2月8日[1] - 没年不詳)は、台湾総督府官僚。兵庫県明石市長。族籍は東京府平民[1][2]。
神奈川県平民・相川正麿の長男[1][2]。1903年(明治36年)、東京帝国大学法科大学政治科を卒業[1][3][4]。分家した[2]。北京財政学堂に入り、台湾総督府警視となり、澎湖庁長、嘉義庁長等を歴任[2]、台湾総督府事務官に昇進勤務した[4]。
1921年(大正10年)に明石市長に選出された。東京市に原籍を有した[4]。
- 相川家
- 『東京帝国大学一覧 明治37-38年』東京帝国大学、1886-1912。
- 人事興信所編『人事興信録 第5版』人事興信所、1918年。
- 人事興信所編『人事興信録 第6版』人事興信所、1921年。
- 原田登編『帝国大学出身録』帝国大学出身録編輯所、1922年。
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官選 | |
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公選 |
- 辻猛1947.4 - 1951.4
- 田口政五郎1951.4 - 1955.2
- 丸尾儀兵衛1955.3 - 1967.4
- 吉川政雄1967.4 - 1971.4
- 衣笠哲1971.4 - 1983.6
- 小川剛1983.7 - 1991.7
- 岡田進裕1991.7 - 2003.4.30
- 北口寛人2003.5.1 - 2011.4.30
- 泉房穂2011.5.1 - 2019.2.2/2019.3.17 - 2023.4.30
- 丸谷聡子2023.5.1 -
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カテゴリ |
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三県一庁時代 |
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澎湖庁長 |
- 伊集院兼良1897.5.27-1897.11.30
- 多田禎三郎1897.5.27-1899.2.14
- 高津慎1899.2.14-1900.12.22
- 浅田知定1900.12.22-1902.6.21
- 小林三郎1902.6.21-1906.4.1
- 脇本彬1906.4.1-1908.5.23
- 横沢次郎1908.5.23-1908.6.4
- 山田寅之助1908.8.3-1909.10.25
- 横山虎次1909.10.25-1914.2.2
- 沢井瀬平1914.2.2-1916.11.13
- 相川茂郷1916.11.13-1919.5.21
- 川中子安治郎1919.5.21-1920.10.1
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高雄州澎湖郡守 |
- 竹下康之1920.9.1-1923.11.22
- 清水喜七1923.11.22-1924.12.25
- 杉山靖憲1924.12.25-1926.7.1
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澎湖庁長 |
- 増永吉次郎1926.7.1-1928.9.18
- 児玉魯一1928.9.18-1929.9.13
- 大竹勇1929.9.13-1931.5.8
- 本間善庫1931.5.8-1933.2.2
- 大磐誠三1933.2.2-1935.9.2
- 福元岩吉1935.9.2-1936.10.16
- 林田正治1936.10.16-1939.1.28
- 今田卓爾1939.1.28-1940.7.30
- 鶴友彦1940.7.30-1941.6.6
- 川添修平1941.6.6-1942.8.7
- 大田政作1942.8.7-1945.10.25
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カテゴリ |