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ノート:史的イエス

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これはこのページの過去の版です。Yumoriy (会話 | 投稿記録) による 2024年12月12日 (木) 08:21個人設定で未設定ならUTC)時点の版 (ノートページ投稿の過去ログ化の提案 2024年12月: 手順の変更、過去ログサブページの「/log-20040215まで」⇒「ノート:史的イエス/過去ログ1」への移動を報告。)であり、現在の版とは大きく異なる場合があります。

過去ログ

報告 上掲の履歴の固定リンク方式の過去ログ(2)「/2005/12/31まで」を、2024年(令和6年)12月4日に過去ログ(1)「/log-20040215まで」へ転写し、一本化しました(ただし、節《#新約聖書学の成果を豊かに発信できれば…》は現行ノートに存在するためログ転写から除外しました)。現時点の過去ログ《ノート:史的イエス/log-20040215まで》のページサイズは20,758バイトとなっています。--Yumoriy会話2024年12月4日 (水) 12:11 (UTC)[返信]
報告 過去ログ「/log-20040215まで」を「/過去ログ1」へ改名移動しました。旧ページは移動先「/過去ログ1」へのリダイレクト(転送)となっています。--Yumoriy会話2024年12月12日 (木) 08:21 (UTC)[返信]

新約聖書学の成果を豊かに発信できれば…

中立を強調することで何も書けないのは、自分で自分の首を絞めることと思っています。 むしろ、新約聖書学の成果がいろいろある場合、併記して、豊かさを伝える方が良いと思っています。 つまり、別の見解の人がありましたら、「見解?」として追加すれば良いと思います。

ただその場合、この史的イエスの場では、最低限、新約聖書学の成果を根拠として行う必要があり、その上で、批判する必要があります。 前に、荒井さんと弟子筋の大貫さんとが目の前で批判するのを聞いたことがあります。 その場合でも、新約聖書学という共通の土台で、真理を求めるという共通の目的をもって批判しあっており、ある意味で安心して、聞き、学ばせて戴きました。 このウィキペディアッデのキリスト教の場では、その様でありたいと願っております。 by イエスチャン --以上の署名のないコメントは、イエスチャン会話投稿記録)さんが 2006年4月6日 (木) 10:59 (UTC) に投稿したものです。[返信]

ウィキペディアは真理を求める場ではありません

イエスチャン さん、多数の文章の投稿、ご苦労様です。ただ、疑問があります。ウィキペディアにおける原則は、ここは個人の意見や個人の独自の研究を発表する場ではないというのがあります(参照:Wikipedia:ウィキペディアは何でないか)。「イエスの思想」として、(2)として長い文書を記されていますが、これは一体、誰の学説でしょうか。また、史的イエス研究の専門家たちのあいだで共通に認識され承認されている学問的な成果なのでしょうか? そもそも、この記事のような主題の場合、「参考文献」が必須になります。誰の著書に基づいて、ある記述を行っているのか、出典が明らかでなければなりません。色々な本を読んで、自分はこう考えている、というのは、それは「個人の独自の意見・主張」です。新約聖書学者荒井献の述べるところでは、こうであるとか、専門家の学説・理論であることを(かつその学説が、史的イエスの研究で、多くの専門家の賛同を得ているものであることを)明らかにしなければなりません。イエスチャン氏の記述は、残念ですが、そういう典拠の明記がありません。イエスチャン氏の独自の意見の表明・演説の類としか読めません。従って、記述はすべて削除させて戴きます。再度掲載される場合は、参考文献・出典を明示して戴きたく思います。--Maris stella 2006年5月23日 (火) 04:51 (UTC)[返信]

私も内容や文体から同じ危惧を抱いております。今後、編集される方には、特に下記の点をご留意いただければ幸いです。よろしくお願い申し上げます。
  1. Wikipedia:検証可能性
  2. Wikipedia:独自の調査
  3. Wikipedia:言葉を濁さない
  4. Wikipedia:出典を明記する
--Album 2006年12月6日 (水) 01:24 (UTC)[返信]

J・ヴァイスおよびユリウス・ヴェルハウゼンの主張の論拠について

本文中に、

アルベルト・シュバイツァーは・・・イエスは終末論的世界観の中に生きておりメシアとしての自覚を持っていたと言う見解を表明した・・・その後、J・ヴァイスはこのような教会神学の所産である福音記者の編集部分を取り除くことでイエスの歴史像を解明しようと」したとあり、

J・ヴァイスが、福音書にみられる "1.イエスが終末論的世界観を持っていた" ,"2.メシアとして自分をとらえていた"ことを示す記述を「教会神学の所産である福音記者の編集部分」であるとしたと読み取れるのですが、J・ヴァイスはどのような論拠でこのような結論を導き出したのでしょうか。

また彼がマルコの分析を行なったものの、「伝承の編集は予想以上に複雑な過程を経ている」と結論するに至ったのはなぜですか。

同様に、

ユリウス・ヴェルハウゼンが「マタイとルカにおけるQ資料の編集においてすらも、教会神学が作用している」という説を唱えたとありますが、これも、どのような論拠でこの説が発表されたのですか。

以上のような見解は、厳密な考証を経て主張した上で、明確な論拠が提示されたものなのでしょうか? 反論や批判に対して、どのような反証が行われたのですか? --Ointment2 2009年5月2日 (土)

ノートページ投稿の過去ログ化の提案 2024年12月

現在のノートページにある投稿2024-12-04T12:11:36 (UTC)の版、議論投稿は2009年5月2日付まで)のすべてを過去ログ化したいと考えます。いかがでしょうか。

理由は、主ページ「史的イエス」が記事「ナザレのイエス」へ統合されてすでに十年以上経っているためです2011年(平成23年)2月3日付で統合差分/36175243差分/36175278。統合提案は《ノート:イエス・キリスト#イエス関連の記事の統合・転記による大幅整理提案》参照)。そのため、旧記事「史的イエス」にかんするノート議論は一つの過去ログにまとめておくのがわかりやすい、と考えました。

なお、統合以前の当記事は2003年(平成15年)4月10日に記事「イエス・キリスト」として初版が作成され差分/17111、翌2004年(平成16年)2月15日に「イエス・キリスト」⇒「史的イエス」へ改名移動して成立しました差分/212736差分/212737。そののち上記2011年の統合実施まで編集加筆が続けられ、統合前の実質的な最後の編集は、2010-12-17 06:53:54 (UTC)の版差分/35443401でした。--Yumoriy会話2024年12月4日 (水) 12:35 (UTC)[返信]

上掲過去ログ化提案は、次の手順で進めたいと思っています。
  1. 2009年(平成21年)までの当ノートページ「ノート:史的イエス」への投稿(冒頭の節《#過去ログ》から直上の節《#J・ヴァイスおよびユリウス・ヴェルハウゼンの主張の論拠について》まで)を、過去ログ「/log-20040215まで」へ転記。
  2. 上記転記ののちサブページ名を「/log-20040215まで」⇒「/log-20090502まで」へ改名。(ページ名を当ノートへの実質的な最終投稿日2009年05月02日差分/25668744に変更し、ログ内容と合致させます。)
  3. リダイレクトページ「/過去ログ1」の転送先を上記「/log-20090502まで」へ変更。(これにより「過去ログ一覧 {{Archive box}}」から自動リンクされます。)
いかがでしょうか。--Yumoriy会話) 2024年12月5日 (木) 08:44 (UTC) / 手順を修正したため打ち消し線付与.次投稿参看.--Yumoriy会話2024年12月12日 (木) 08:21 (UTC)[返信]
報告 過去ログ化の手順を変更して、サブページ「/log-20040215まで」を素直に「/過去ログ1」へ改名移動しました。この「/過去ログ1」へ、記事統合実施前の2009年5月2日までの議論を転記アーカイブすることとします。 このほうがシンプルで、2024年現在の過去ログページの命名法(〈Help:過去ログ〉の2024-03-01 10:44:04 (UTC)の版にも合致します。また、「/log-20040215まで」にページ名に含まれない時期の議論を転記する不合理(それ自体は転記とページ名変更の順序を変えればクリアできますが)や「/log-20090502まで」といった一見して違いのわかりにくいページ名へ変更することの是非を考えずにすむためです。--Yumoriy会話2024年12月12日 (木) 08:21 (UTC)[返信]