ノート:靖国神社問題
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保護の解除
真やすくに大百科にリンクを貼るかどうかでもめて保護がかかっていました。 靖国神社のほうも同じ理由で保護がかかっていましたが、向こうでは「真やすくに大百科にリンクを貼らない」という結論に達して保護が解除になりました。 なので、こちらも「真やすくに大百科にリンクを貼らない」という結論で保護を解除したいと考えてます。
御意見お願いします。Giant2007 2007年8月28日 (火) 11:35 (UTC)
- 「真やすくに大百科にリンクを貼らない」という合意で解除してもいい。--経済準学士 2007年8月30日 (木) 21:43 (UTC)
2か月過ぎましたが、反対意見がないですね。解除の依頼をしようと思います。--伏儀 2007年10月25日 (木) 11:59 (UTC)
- 保護を解除していただきました。とりあえず、中韓以外の肯定的意見について、私の知る限りを追記しました。また、批判的意見に紹介されていた個人サイトは、出典を明記しており、検証可能なサイトでした。個人サイトであることを明記して残しました。さらに、私が参考にしたサイトを、やはり個人サイトであることを明記して、紹介させていただきました。こちらも、出典を明記している検証可能なサイトです。それ以外にも、気になった点を編集しておきました。問題があれば、対処していただけると助かります。--伏儀 2007年10月29日 (月) 13:48 (UTC)
「A級戦犯合祀問題」の節を独立したページにする分割提案
「A級戦犯合祀問題」の節を独立したページにするのはどうでしょうか。かなりの分量があると思います。一つのページとした方が読みやすいでしょう。--伏儀 2007年10月30日 (火) 14:29 (UTC)
- 「天皇の参拝」の「推測される原因1:A級戦犯合祀」も「A級戦犯合祀問題」の一項目とした方がよいと思います。--伏儀 2007年11月12日 (月) 15:01 (UTC)
分割を行いました。問題があれば対処していただけると助かります。--伏儀 2007年11月30日 (金) 16:01 (UTC)
「中立的な観点」のテンプレート
中立性に疑問があるとのことですが、具体的にどの記述のことでしょうか。ノートでは、中立性のテンプレートについて言及されていないようです。この記述が問題ではないかというように、ご指摘いただけますか。1カ月待ってご指摘がないときは、テンプレートを外させてください。--伏儀 2007年11月12日 (月) 13:16 (UTC)
判決のところがおかしいですね。違憲だから賠償せよという訴訟が棄却されたならばそれは合憲であるという判断なのですが、勝手に「判断を避けた」という記述にしています。この記述法を認める限りどのような憲法問題でも「合憲認定」なるものは出ないことになります。「違憲認定」「判断を避ける」という法律用語でもなんでもない謎の用語を削除するべきです。--116.64.208.203 2007年11月22日 (木) 03:05 (UTC)
指摘していただきありがとうございます。まだ、「中立的な観点」のテンプレートを外す段階ではないですね。上記の提案は取り下げようと思います。--伏儀 2007年11月22日 (木) 11:11 (UTC)
- 1ヶ月以上待ちましたが、116.64.208.203殿のご指摘に反論がなされていませんね。「判断を避ける」を「合憲判決」に変更しておきました。「違憲認定」も意味が通るように変更されているのを確認しました。細かい推敲を除いてこの中立性の問題は解決したと思います。
- また、「中立的な観点」のテンプレートについても、116.64.208.203殿のご指摘の他にご意見がないですね。「中立的な観点」のテンプレートは外しておきます。もし、新たに中立性の問題を指摘する場合は、ノートにて具体的な記述をご指摘いただいた上で、改めて「中立的な観点」のテンプレートを張るか検討していただきたく思います。--伏儀 2008年1月14日 (月) 11:08 (UTC)
「歴史」の章にも同様の記述があったので、「判断を避ける」を「合憲判決」に変更するなどの変更をしておきました。傍論として違憲言及がなされたことについても明記しました。その他にも、章立ての変更やリンク名の明記などの修正もしました。とりあえず、判決のところで私が気づいた記述は直してあります。--伏儀 2008年1月14日 (月) 13:56 (UTC)
「直してある」と言いましたが、まだ細かい修正点があるようです。引き続き加筆修正をすることになると思います。--伏儀 2008年1月24日 (木) 14:49 (UTC)
憲法判断を避けているのを、何で「合憲判決」とするんですか? 憲法判断がされていないのに、合憲や違憲の判決をだせるわけがありません。 違憲判断がされたものも含めて、愛媛玉串料訴訟以外の訴訟がほとんど国の勝訴に終わっているのは、靖国参拝の合憲性と別の理由で原告の請求が斥けられているからです。 したがって、違憲判断がされた判決で傍論とされているのは、判決の結論を左右しないからです。 違憲判断をしていない訴訟は、単に必要ないから憲法判断を避けたに過ぎません。 「合憲判決」という表記は改めるべきです。 --Amyupa cider 2009年7月29日 (水) 05:07 (UTC)
1か月以上経たので、合意を得たものとみなし、本文を修正しました。
--Amyupa cider 2009年9月16日 (水) 09:19 (UTC)
一応法学の勉強をしていたものです。主文の結果だけを、記入して、つまり、原告の勝訴または、敗訴を記入して、後は、「法学の用語のリンクを参照すること」と書くのが良いのではないでしょうか?違憲の言及は、おまけとして、「付記」するということにするのが、最も精密でしょう。--UrbanRIer(会話) 2013年3月1日 (金) 09:18 (UTC)
法学の用語としては、違憲審査制、ブランダイス準則などが挙げられます。UrbanRIer(会話) 2013年3月1日 (金) 09:20 (UTC)
「一般国民の言論と何ら変わるところがない」の出典
「一般国民の言論と何ら変わるところがない」という解釈・意見の出典を求めます。--Memosa 2007年11月30日 (金) 16:14 (UTC)
- 「要出典」を除去した者です。「一般国民の言論と何ら変わるところがない」の根拠は「傍論に法的拘束力がない」ことであり、「法的拘束力がない」についての出典も傍論にあるので、記述に問題ないと見なしました。しかし、傍論には「傍論によって裁判に予見可能性がもたらされる」ともあるので、「傍論は一般国民の言論と何ら変わるところがない」と解釈するのは確かにおかしいですね。「一般国民の言論と何ら変わるところがない」の文を「要出典」とすることを支持いたします。お手数おかけして申し訳ありません。--伏儀 2007年11月30日 (金) 16:43 (UTC)
出典を提示していただけなかったので、一度この記述を削除します。記述する場合は、出典を明示していただければと思います。--伏儀 2008年1月14日 (月) 11:11 (UTC)
「傍論は判決の結論を導くのに必要がなく、政府としてこれに従う、従わないという問題は生じない」とする政府の公式見解を追記しました。「一般国民の言論と何ら変わるところがない」についてはもう忘れて良いと思います。--伏儀 2009年4月5日 (日) 07:00 (UTC)
個人サイトについて
私が参考にした個人サイトが削除されたようです。Wikipedia:検証可能性を確認しましたが、個人サイトは適切な情報源とは見なされないようです。よって、私が記述した個人サイトの削除を支持し、批判的な意見を紹介していた個人サイトも削除としましょう。--伏儀 2008年8月18日 (月) 18:13 (UTC)
批判的な意見を紹介していた個人サイトを、下記の理由により復活しました。
- 伏儀さん自身が言っているように、このサイトは個人サイトではあるものの、載っている情報は検証可能である。
- 包接主義的に見て、無いよりはあった方がよい。リンク先のサイトが信頼できるかどうかは読者が自分で判断すれば良い。
- Wikipedia:検証可能性には、(信頼できない情報源であっても)、「もしもその情報が重要で残す値打ちがあるものならば、それをくだんの情報源によるものと明示してください」と書いてある。
- 肯定的意見の方の個人サイトが削られたのは、単にリンク切れだったから。
Giant2007 2008年8月20日 (水) 12:52 (UTC)
議論になったので独立した章にしました。Giant2007殿の適切なご指摘により、個人サイトを記載するべきか明確に判断できるようになったと思います。ありがとうございます。さて、肯定的意見の個人サイトはサーバ移転によりURLを変更しており、リンクが切れている状態だったことを確認しました。ただ、このサイトを削除したIP:124.96.21.229殿は、削除した理由を要約欄に記入しておりません。IP殿に確認をとらずに「リンク切れにより削除された」と決めつけるのはまずいと思います。(Wikipedia:検証可能性によって削除されたと決めつけたのもまずかったと思いますが)。今回の場合は、要約欄に記入しないと問題になるケースだと思いますが、やはりIP殿のコメントを待つべきだと思います。IP殿の賛成をいただくか、数週間待ってコメントをいただけない場合は、当初の方針通り個人サイトを両方存続させることにしましょう。とりあえず、肯定的意見の個人サイトを復活しておきます。--伏儀 2008年8月24日 (日) 12:40 (UTC)
たしかに、リンク切れが原因とは限らないですね。伏儀さんの決定に賛成です。Giant2007 2008年8月27日 (水) 16:52 (UTC)
靖国参拝をした海外要人のリストを作ってください。よろしくお願いします。
伏儀さんの復活してくださった(肯定の方の)個人サイトについて何ですが、一つ、気になる事があります。
wikipediaの本文には、「◯◯新聞××日」のように引用元の新聞名と日付が書いてありますが、個人サイトの方には書いてません。
なので、引用元として挙げられている新聞名・日付がどこからきたものなのかがとても気になります。
いや、疑うわけではないのですが、どういう経緯でwikipediaに引用元の新聞名が載ったかを知っている方がいらしたら教えて下さい。
Giant2007 2008年9月18日 (木) 09:27 (UTC)
役職や人名などでGoogle検索して、新聞社の公式サイトにあった記事や、出典を引用している個人サイトを見つけました。「(肯定の方の)個人サイトを参考にした」と言いましたが、単に出典を探すキーワードを決めるときに参考にしただけです。--伏儀 2008年10月10日 (金) 15:31 (UTC)
上記の説明は、私が新聞名・日付を載せた経緯についてです。私の場合、出典が見つからなかった発言は、事実であると判断できないとして載せませんでした。--伏儀 2008年10月10日 (金) 15:36 (UTC)
- お返事ありがとうございます。了解です。--Giant2007 2008年10月16日 (木) 13:01 (UTC)
利用者:Nanashi999殿によって、肯定の方の個人サイトが削除されました。アクセスしてみましたが、リンク切れになっておらず、問題なく閲覧できます。さらに、Nanashi999殿は要約欄に削除した理由を記入していません。Nanashi999殿の編集は適正さを欠くように思います。(単にノートの合意に気づかなかっただけかもしれませんが)。よって、Nanashi999殿の編集をリバートしました。肯定の方の個人サイトを削除する場合は、ノートで改めて合意形成をしていただきたく思います。--伏儀 2008年10月15日 (水) 16:19 (UTC)
利用者:Nanashi999殿によって、肯定の方の個人サイトが再び削除されました。ただ、今回はコメントアウトにて削除すべきという根拠を明記していただいています。ありがとうございます。
さて、利用者:Nanashi999殿が根拠としたWikipedia:外部リンクの選び方(以下WP:ELとします)ですが、もちろんその方針を把握した上で、載せようという話を利用者:Giant2007殿としておりました。一方、利用者:Nanashi999殿は、WP:ELのガイドラインを誤読しており、適正さを欠くように思います。利用者:Nanashi999殿は、「アフィリエイトで利益を得ている個人サイトへのリンクは宣伝目的とみなします。ルール違反なので削除。」と説明しています。しかし、WP:ELの「掲載すべきでない外部リンク」節の「宣伝目的のリンク、自分が運営にかかわっているサイトへのリンク」には、「…そのサイトが商業目的(アフィリエイト等を含む)であれ非営利目的であれ、#掲載してよい外部リンクの第1項および第2項に当てはまらないものに関しては、そのサイトへの外部リンクは排除すべきです。」とあります。この文は「#掲載してよい外部リンクの第1項および第2項」に当てはまるか否かが問題であって、商業目的(アフィリエイト)か否かは問題にしていません。「宣伝目的と見なします」といわれても当惑するしかありません。また、その節には「このような場合は、サイトへのリンクは最大限自制すべきであり、掲載する前にまずは上記の基準を十分に吟味してください。」ともありますが、「上記の基準」とはあくまで「#掲載してよい外部リンクの第1項および第2項」を指しています。
また、「#掲載してよい外部リンクの第1項および第2項」を満たしているのかという問題については、個人サイトは適切な情報源とは見なされないのではという私の意見に対して、2008年8月20日 (水) 12:52 (UTC)にて利用者:Giant2007殿より適切な解説をいただいております。さらに、批判的な意見の個人サイトも載せているので、WP:ELの「中立的な観点」節も基準を満たしていますよね。利用者:Nanashi999殿はこれらに対して問題提起なされていないので、肯定の方の個人サイトを削除する理由はないでしょう。利用者:Nanashi999殿の編集をリバートさせていただきます。--伏儀 2008年10月29日 (水) 16:33 (UTC)
- 数年前の議論に突っ込みを入れるのもなんですがどちらも個人サイトであり単なる情報の集積でもなくそれぞれ意見を表明している場所です。今後このような身勝手な合意を称することは控えてください。もし検証可能性を十分に満たしていないとすればそれは当時の編集者がきちんと新聞資料等に当たっていないからです。個人サイトを便利屋のように利用して手抜きするのはおやめください。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年12月5日 (月) 20:35 (UTC)
- 数年前にも説明しましたが、個人サイトは検索キーワードの参考にしたか、掲載された新聞の特定に利用したものです。出典はあくまで当時の新聞や新聞社の公式サイトなどです。私の場合、個人サイトを経由して見つけたのは事実ですが、率直に申し上げて岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM殿のご指摘はピントがずれています。(当時の新聞紙や新聞社の公式サイトを確認していない場合や、個人サイト自体を出典とした場合でないと、ご指摘の意味が通らない)。過去の合意に異論がおありなら、ご自分で改めて合意形成を行うべきです。--伏儀 2011年12月6日 (火) 13:12 (UTC)修正--伏儀 2011年12月6日 (火) 13:43 (UTC)
- また言い忘れました。上記の説明は私の分についてです。肯定的な意見については私が追記したと認識なさって問題ありません。ただ、私が追記する前後に記載された否定的な意見については、私にはわかりません。こちらについては、残念ながら私が説明できることはありません。--伏儀 2011年12月6日 (火) 13:37 (UTC)
- 趣旨が肯定で否定であれ、このサイトが個人サイトであるという形式上の問題を指摘しているのです。乗っている情報を編集者が調べ物の参考にしてそこから参考文献を当たり、その文献を出典にするのなら何ら問題はありませんが、これは記事内の合意形成で取り決め出来る範囲を逸脱していませんでしょうか?(故に、だれが加筆したものかは本質的に関係がないことです)。この記事が扱う問題は雑誌図書を通じて様々な意見が公表されている筈です。Giant2007氏の意見は言葉はきついですがまさに手抜きでしょう。加えて当該サイトはただの情報の集積というわけでもありません。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年12月7日 (水) 15:37 (UTC)
- 「加筆したのは誰か」「趣旨が肯定か否定か」ということではなく、「肯定的な意見はほとんどすべて私が加筆した」「私が加筆した際には責任を持って出典の確認をした」ということを言いたかったのです。(この問題を扱う新聞・書籍などを追記するのももちろん賛成です)。一方、否定的な意見を加筆したのは私ではないので、私に説明できることはありません。また、個人サイトについては、一度除去しようと思ったのですが、是非載せるべきというご意見を頂いたので、反論できずに反対するのもどうかと思い、合意に至ったわけです。ただ、私も確固たる意見に基づいて合意したわけではないので、除去するべきというご意見に反対する意志はありません。どっちつかずの意見で申し訳ありません。--伏儀 2011年12月9日 (金) 12:23 (UTC)
- 趣旨が肯定で否定であれ、このサイトが個人サイトであるという形式上の問題を指摘しているのです。乗っている情報を編集者が調べ物の参考にしてそこから参考文献を当たり、その文献を出典にするのなら何ら問題はありませんが、これは記事内の合意形成で取り決め出来る範囲を逸脱していませんでしょうか?(故に、だれが加筆したものかは本質的に関係がないことです)。この記事が扱う問題は雑誌図書を通じて様々な意見が公表されている筈です。Giant2007氏の意見は言葉はきついですがまさに手抜きでしょう。加えて当該サイトはただの情報の集積というわけでもありません。岩見浩造 ◆Pazz3kzZyM 2011年12月7日 (水) 15:37 (UTC)
「諸外国の反応」節のアメリカについて
「諸外国の反応」節のアメリカについて、利用者:YourDreamComesTrue-Independence&Freedom殿によって、「肯定的な意見」より「肯否どちらとも言えない意見」に移されていました(「差分)が、編集の意図がよく分かりませんでした。参拝に反対する中国に対して、「反対するべきではない」と明確に反論しているのが、どうして「肯否どちらとも言えない意見」となるのでしょう? 本来であれば、ノートで合意を形成してから私が編集した状態に戻すべきでしょうが、利用者:YourDreamComesTrue-Independence&Freedom殿が「肯否どちらとも言えない意見」とするべきだと判断した理由を説明していただいておりませんので、戻させていただきました。今後、編集する際には、要約欄にて根拠を説明していただければ幸いに思います。--伏儀 2010年8月17日 (火) 11:44 (UTC)
追記です。シーファー駐日大使の公式見解も「肯否どちらとも言えない意見」に移されていましたが、冒頭へ戻しておきました。個人では様々な意見があるでしょうが、結局は個人の主義信条です。一方、シーファー駐日大使のコメントは、彼個人の意見でなく政府の公式見解を伝えたものです。Wikipedia:中立性で考えても個人の意見と同一視するわけにはいきません。私が当初に編集した通り、「アメリカ政府は、日本の靖国参拝に干渉することはない。」とする公式見解を紹介し、「ただし、個人では賛否両論の意見がなされている。」などと、あくまで個人の意見であることを明確にした上で、賛否両論の形で研究者や政治家などの意見を紹介するのがよいと思います。--伏儀 2010年8月17日 (火) 11:54 (UTC)
コメント 横から失礼します。私は利用者:YourDreamComesTrue-Independence&Freedomさんではありませんが、単に「肯定、否定、肯否どちらとも言えない」の意味の取り方の話かと思えます。伏儀さん指摘のように、大前提として「参拝に反対する中国に対して」の米国の発言と解釈すれば「アメリカ政府は、日本の靖国参拝に干渉することはない。」は中国への間接的な反論(いわゆる牽制発言)にも思えます。しかし発言自体は「米国は参拝を支持する」と明確に賛成した訳でもなく、この件での自国政府の不介入(いわゆる中立や不作為)を表明しただけなので、中立的視点からは「肯否どちらとも言えない」が妥当と思います。参拝支持なら「賛成」、参拝反対なら「否定」、それ以外(意思表示しない、不介入方針など)は「肯否どちらとも言えない」という訳です。--Rabit gti 2010年8月18日 (水) 15:35 (UTC)
- 「伏儀さん指摘のように」…私はシーファー駐日大使の公式見解についてそのような指摘はしていないし、参拝に賛成する意見に分類する編集もしていません。私の説明に問題があったようで、シーファー駐日大使の公式見解と研究者や政治家などの意見とを混同させてしまったようです。--伏儀 2010年8月22日 (日) 01:36 (UTC)修正--伏儀 2010年8月22日 (日) 02:32 (UTC)
歴代首相の参拝について
現在の記載では、東久邇宮が最初の首相としての参拝、となっていますが、これは「伊藤から鈴木貫太郎まで、首相の在任中の参拝は一度もなかった」と同じ意味と考えて良いのでしょうか?歴代の中には戦時中の東条英機や小磯国昭、同志や部下が合祀されている山縣有朋や桂太郎もいます。身内が合祀されている首相も居たでしょうし、さらには天皇や国賓に随行しての参拝を考えると、戦前戦中の首相参拝が一度もなかったとはよほど確かな資料がないと信じがたいのですが。--202.231.141.196 2011年6月28日 (火) 10:59 (UTC)
合祀の時期
戦犯合祀の時期について、どこに書かれているでしょうか。合祀されてからの問題の記述は多いですが、実際合祀開始までの歴史(段取りなど)や、合祀が初めて行われた日時が不明です。記述よろしくお願いします。-218.41.167.68 2011年8月22日 (月) 22:50 (UTC)
アメリカの意見
2011年08月23日にJBプレスでアメリカの意見について記事が出ていました。(挑発的?米国人学者が提言、「首相はもっと頻繁に靖国を参拝せよ」)。現在記載されている肯定的な意見に加筆する際の出典になると思います。執筆の時間がとれないのでこの場で紹介しておきます。--伏儀 2011年8月28日 (日) 09:07 (UTC)
諸外国の反応 の区分けについて
かつての連合国/戦後に成立した国家/バチカン/マスメディア と区分されていますがドイツがなぜか「かつての連合国」に区分けされています. だれか意図を知ってる方はいますか? 特になければ「かつての枢軸国」というカテゴリを作成してそちらに移します.--Slot28 2011年12月25日 (日) 14:31 (UTC)
- というより、「欧米」「東アジア」「その他」の区分けのほうがよいのではないでしょうか。参拝反対者には「東アジアは侵略の被害者」という認識があるようです。一方、「欧米」の方々は第三者の立場から発言しているように見受けられます。--伏儀 2011年12月26日 (月) 11:44 (UTC)
- ↑わかりました.自分も特に異論がないので上の案で一週間待ちましょう -^Slot28 2011年12月31日 (土) 11:41 (UTC)
- 東アジア⇒東アジア,東南アジアとしたうえで上記の通り修正しました.--Slot28 2012年1月15日 (日) 14:30 (UTC)
- お疲れ様です。冒頭にあった欧米のマスメディアの記述を「マスメディア」節に移しておきました。--伏儀 2012年1月17日 (火) 12:33 (UTC)
- 東アジア⇒東アジア,東南アジアとしたうえで上記の通り修正しました.--Slot28 2012年1月15日 (日) 14:30 (UTC)
- ↑わかりました.自分も特に異論がないので上の案で一週間待ちましょう -^Slot28 2011年12月31日 (土) 11:41 (UTC)
バチカンについて
バチカンの公式見解について、
- 1963年にバチカン(ローマ教皇庁)は次のような公式指針を出しており、以降、変更されていない。
- カトリック信徒は、いかなる異教の儀礼をも尊重すべきである。
- 戦没者への敬意は国民の儀礼である。
- 従って、カトリック信徒の靖国参拝も国民的儀礼として許される。
とありますが、日本のカトリック中央協議会に問い合わせたところ、明確に違う答えをいただきましたが、どういうことでしょう? カトリック中央協議会広報によると、「カトリック教会は、三位一体の神以外を信仰したことはなく」「人間を神として祀っている靖国神社に参拝することは偶像崇拝」であるという返答がありました。 どちらがただしいのでしょう?武蔵曙 2012年2月3日 (金) 17:44 (UTC)
A級戦犯の分祀について
- みしまるももさん
コメントアウトした
- (この見解は従来からの神道的な考え方からして正しいかどうかは、上に挙げられた豊国大明神廃祀や明治維新時の神仏習合分離などからして疑義が呈せられるが、一独立した民間の宗教法人である靖国神社はどのような考え方に基いて祭祀を行っても自由なので、従来の神道的見方はこの際関係ない。)
に関して
- それぞれの意見を羅列するだけでいいので、出典不明の余計な独自見解や解釈の注解はいらない。
とのことですが、宗教法人靖国神社は独立した宗教法人であり、従来の神道的考え方と違う独自の考え方で祭祀を行っても(別に独自の考え方だと言っている訳ではない)問題ないことを明記しておくべきではないでしょか。 神道の祭祀に関しての決まった考え方はないので、神道の祭祀に関しての正しい見方を争うことは意味を持たないですから。 そもそもこれ自体がA級戦犯を分祀するかどうかではではなく、A級戦犯を分祀できるかどうかの議論になってしまっており、本来の議論からズレていると思います。 神学論争はこの事に関して言えば意味が無いです。 反論がなければ、コメントを元に戻します。 --124.103.189.249 2014年1月1日 (水) 13:24
- 124.103.189.249さん、はじめまして。では、その文章は「分祀賛成・反対」の両方にかかる文章として分かるように、インデントを改めて書いた方がいいと思います。あの文章が反対派のすぐ直下に続けられていると、紛らわしいと思うので、次のような、どちらにもかかるような第三の見解的な文章にして、付加したらどうでしょうか? 神道的見方を関係なくしても、一独立した民間の宗教法人として分祀しなくても構わないということにもなりますので、これは両者にかかる見解となりますから、記載するならインデントを出して記述した方がよいでしょう。そしてもしもそれと同義の出典があれば付加するのが望ましいと思います。それか、出典がつけられるまではコメントアウトにして保持してもいいかと思われます(出典がないと再び他の方に消されてしまう可能性がありますので)。
以上の分祀賛成・反対いずれの見解は、従来からの神道的な考え方からして正しいかどうかにより意見が分かれており、上に挙げられた豊国大明神廃祀や明治維新時の神仏習合分離などからして疑義が呈せられているが、一独立した民間の宗教法人である靖国神社はどのような考え方に基いて祭祀を行っても自由なので、従来の神道的見方はこの際関係ないという見解もある。
--みしまるもも(会話) 2014年1月1日 (水) 05:01 (UTC)
- みしまるももさん
- >「分祀賛成・反対」の両方にかかる文章として分かるように、インデントを改めて書いた方がいい<
- 了解しました。「分祀賛成・反対」ではなく上の説明の所に記述を移しました。「靖国神社はどのような考え方に基いて祭祀を行っても自由」の出典についてですが、憲法上の信教の自由上での当然の見解ですので、改めてそれを記述する必要はないと考えます。
- それと説明に天皇の親拝問題などについての記載も加えました。これについてはこの記事の別の所で説明されていますので、改めて出典を示す必要はないと考えます。
- サンフランシスコ条約についても同様です。歴史修正主義についての記載については出典を加えた方が良いかもしれません。但しそれに類する意見は他国も含めて多く、特定の出典を示すことが適切であるかは判りません。
--124.103.189.249 2014年1月1日 (水) 15:11
- みしまるももさん
- >A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である。又天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからという見解が存在する。だからA級戦犯を分祀するべきという意見である。<
- を
- >A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的であるという意見もある。又天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからという見解が存在し、故にA級戦犯を分祀するべきという意見もある。<
- へ
- >少し文章が独自研究に傾きがちの、断定的な口調なので修正します。<
- とのことですが、この修正は国語的に変です。
なぜなら、ココの所はA級戦犯を分祀することの論理的組み立てを説明している所ですので、その組立の流れが明示されなければならないからです。 「も」というのは並列を意味するので、論理的組み立てを記述する時には使いません。 勿論この論が正しいと言っているのではないので、その後にこの論の組み立てに対する反論を記載することは良いです。 が、論の組み立ての説明の流れの中で「も」とするのは国語的にオカシイと考えます。
- また論の組み立て中の「見解が存在する。」を「意見もある。」に変えたのも同様。
論の組み立ての中でのことなので「どのようにみるのか」という「見解」でなければオカシイのです(見解は別に確定した見方ではなくどのように見るかに過ぎませんから。だから見解の相違という使い方をする。)。 感想に過ぎない「意」の見方では論の組み立てになりませんから。 論の組み立て後、最後に「意見」とするのが国語的に正しいと考えます。
- それと元々の書き方にミスがあるのですが「又」は「又は」に変えるべきですね。
「又」だと「and」になるので。「又は」に変え「or]にすべきでした。そうすると「見解が存在する」は「歴史修正主義的」「天皇親拝」の両方に並列的に掛かります。ですので「見解が存在する」で一旦「。」で切るのが適切でしょう。
- ですので「A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である。又は天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからという見解が存在する。故にA級戦犯を分祀するべきという意見である。」
にすべきと考えます。 最後「意見である。」としているのは組み立てを受けていることを示しています。「意見もある。」にすべきか考えたのですが、先程述べたように「も」は並列を表すので並列すべき意見を並べなければならない。 そうではなく、その後にその意見に対する反論が書かれているので、「もある」よりも「である」の方が適切であると考えます。
の修正ですが、>挙げられると主張している。<というのはここでは国語としてオカシイです。>案が挙げられている<か>案が主張されている<のどちらかでしょう。 そしてこの場合幾つかある具体的な案の一つとして出されているので、「挙げられている」が妥当でしょう。主張は主観的な意見を認めさせようという意味合いが強いので。このような客観性が求められる百科事典的な記事での説明としては適切で無いと考えます。
- 次に「廃祀」についての記載ですが、多分個別廃祀は可能であるとの修正のようですが、「高橋哲哉」氏の意見でそうなっているのでしょうか。「高橋哲哉は」に続けて書いていますので、「高橋哲哉」氏の意見に沿った書き方で無ければオカシイです。出典は注に拠りますと高橋哲哉氏の著書「靖国問題」であるようですので、そちらからの記載の確認の提示なしでの修正は受け入れられません。提示がされるまで元の記載に戻します。その後に個別廃祀の反論の記載は構いませんが、神学論争になると切りがないので程々に。(反論が加えられたら客観的記述か確認はされるべきでしょうが。貴方の記載だと特に維新時の神仏習合分離に関しては適切でないと考えます。)
- また「反論」の「反発」への修正も適切ではないと考えます。「反発」は無根拠に出来ますが、論を示しているからです。
- また>(靖国神社は独立した一宗教法人なのでどのような見解で祭祀を行っても自由)。<
を個別の賛成・反対の項目の所に戻していますが、これはみしまるももさんとの意見交換で両方に渉ることなので、>「分祀賛成・反対」の両方にかかる文章として<書くことにしました。説明の所と重複しておりますので削除致します。
- また>「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」呼びかけ人の<等の説明は必要ありません。「高橋哲哉」氏はWikipedia内にも項目を立てられリンクもされています。こういった説明を付けていくと切りがないので必要ありません。
- 必要あるでしょう。どういった方の意見であるかは重要です。中立的な方ならともかく、どちらかに寄った方の意見であれば、どういった方であるかは前置きしておくことは、中立的な見解であるという誤解を招きます。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
- また>韓国や中国などは<の「韓国や」は必要ないと考えます。理由は韓国はA級戦犯の合祀だけでなく靖国神社自体を問題視しているからです。そのことは説明の中で記載し、中国の主張とは違い分祀では解決にならないと記載しております。
- >故にそこでA級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的であるという意見もあるが、サンフランシスコ講和条約11条に則って免責されているので、論じること自体意味が無いという捉え方もある。又、天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからという憶測(間接的に聞いたという主張だが確証が無い)が存在し、それを大義名分にし、免責となっている所謂A級戦犯を分祀するべきという意見もある。<
- の>サンフランシスコ講和条約11条に則って免責<これは微妙な表現ですね。赦免・減刑はされていますが戦犯であることそのものは確定しているからです。わかり易い例で言えば大韓航空機爆破事件の金賢姫は死刑確定後、特赦により赦免されていますが、それは法定刑の免除ではあっても、免責(責任を免じる)と言い得るかということです。免責ではなく赦免・減刑と変えるべきでしょうね。また上に書いたように修正もありますので整理して書き直します。
- 赦免という言葉の意味をご存知ですか?まずは、そこからです。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
- また>合祀されたからという憶測(間接的に聞いたという主張だが確証が無い)が存在し、それを大義名分にし、免責となっている所謂A級戦犯を<は恣意的な説明が多すぎて客観的な記述になっておりません。
- 客観的では無い記述だったので修正させて頂きました。恣意的なのは未だにA級戦犯と記述されている事でしょう。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
その経緯に関してはこの記事の別の所に記載されていますので、シンプルに書くべきです。また「所謂」ではなく極東軍事裁判上でのA級戦犯であることそのものは国内外とも確定しています(既に死刑が執行されているため赦免・減刑は不可能。
- すみません。先ほどの記述と矛盾が生じていますが、大丈夫なのでしょうか?124.103.189.249さんは、「赦免・減刑はされていますが戦犯であることそのものは確定している」と先に書いて置きながら、後から「赦免・減刑は不可能」と先の記述と全く違うことを書いています。どちらが事実なのでしょうか?どちらにせよ。124.103.189.249さんのどちらかの記述が、虚偽であることが確定的になってしまいますが。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
再審による 無罪判決又は判決の無効を訴えるにはサンフランシスコ講和条約の破棄しかないためこれも事実上不可能)。
- また分祀のみに逐次リンクさせまくるのは見栄えが良くないです。これをやりだすと切りがない。最初だけで良いです。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 04:25
- いいえ。長い記事ですので、リンクを貼ることは読み手にとって分かり易いさが増すと思います。あなたの美的感覚だけでは賛同致しかねます。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:44 (UTC)
高橋哲哉氏の明治の大量廃祀を>明治時代に神仏分離により大量の分離・廃祀<にしました。。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 05:13
- ?「「高橋哲哉」氏の意見に沿った書き方で無ければオカシイです。」と言っておきながら、何故書き換えたのでしょうか?124.103.189.249の改変が「高橋哲哉」氏の意見に沿っていて、こちらの表現の仕方が意見に沿っていないと断定されて根拠はなんでしょうか?--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
- 124.103.189.249さんへ
- 丁寧な説明ありがとうございます。でも124.103.189.249さんの書き方だと、「故にA級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である。」というふうに、そこで「。」を打って区切ってしまうと、その文章が記述者(あなた)の見解のように見えてしまってますので、「、」にするべきだと思います。あれでは、あなたの独自研究箇所が混じっているかのように第三者的には見えてしまっています。それに論理的な流れは通ってもやはり文章的な流れとしては、意味がとても分かりにくい文章になっていて、あなたの独自研究が混じっているように読めてしまっています。それから、後段の記述はやっぱり、それぞれの箇条書きの後のまとめの段落として書いた方がいいと思います。冒頭に付随して記載されていると、まだ何の説明も始まっていないのに、あれがあそこにあると変な感じがしますし、独自研究に見えています。なので、私の添削した文章を以下に記述してみましたので、見てみてください。後段部分は、あまり断定口調だと、あなたの独自研究色が強くなりますので、口調を和らげてあります。これはあなたが出典はいらないと言っても、やはり「神学論争は関係ない」という見解自体があなたの独自研究と見なされる可能性がありますので、あなたの編集がなるべく生かされるように文章を整えてありますので、よろしくお願いします。
- あと、鈴木直紀さんの書き加えた“「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」呼びかけ人の”は、その人物の一つの立場の説明としてガイドしてあってもいいと思いますので、無理に消す必要もないと思います。その人物の立ち位置を前置きする記載は許容範囲ですし、リンクを踏まない人や踏んでもよく見ない人もいると思うので、これくらいは書き加えてあってもいいんじゃないでしょうか。
- 冒頭部
中国は第二次世界大戦中に導いた戦争指導者であるA級戦犯が合祀されている所に首相が参拝することを問題視している。そしてそのことにより近隣諸国との関係が悪化することを、日本と同盟国の米国が懸念を示しているという外交問題がある。これに関連して歴史的な側面から分祀問題を見る論争としては、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、極東軍事裁判の判決をその条約で受け入れているため、A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である、又は天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからだという見解が存在し、故にA級戦犯を分祀するべきという意見がある(但し、韓国はA級戦犯だけではなく靖国神社自体を問題視しているので分祀をしても問題解決にはならないという懸案が残る)。それに対して、その後戦犯は全てサンフランシスコ講和条約11条に則って赦免・減刑されているのだから、A級戦犯者を排除すべきではない、また天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなった理由がA級戦犯の合祀にあるというのはあくまでも憶測であるという反論がある。両者の主張を以下に記載する。
- まとめの最後の段落
但しこれらの分祀・合祀の論争は、民間の一宗教法人靖国神社がどのような考えであるかだけなので、国が取りうる問題の解決方法としてはあまり意味を持たない面がある。そしてその際、そもそも分祀そのものが可能なのかという議論があるが、それは分祀するかしないかの議論ではなく、分祀出来るかどうかの神学論争に当たるので本来ズレた議論である部分も含む(靖国神社は独立した一宗教法人なのでどのような見解で祭祀を行っても自由であるという側面もあるため)。また政教分離に関わる憲法問題に対しての解決とは無関係である。
--みしまるもも(会話) 2014年1月3日 (金) 05:00 (UTC)
コメント 124.103.189.249さん、鈴木直紀さん、みしまるももさん、横からすみませんがコメントさせてください。記述の改善へ向けて冷静に建設的な議論を重ねている事に敬意を表します。しかしNPOVの観点からは、「Aとの意見があるが、しかしBとの反論もある」という出典なき構成は、読者を「B」に誘導しており好ましくなく、今回合意できても無限の修正合戦や再議論を招く事を懸念します。各領土問題の記事のように、単純に「複数の論点ごとに複数の見解がある」と記し、後は出典ある見解を淡々と列挙すべきと思います。また別の話ですが、「A級戦犯の分祀」の節だけでも (A)中国による外交問題のみから発したように断定記述している(中国以前の国内の反対が無かったように読める) (B)いわゆるA級戦犯の問題だけに断定している(キリスト教徒や台湾出身者による訴訟問題も存在している)(C)「分祀賛成派の意見」の節に靖国神社の見解(分祀不能説)が書かれている(反論優先に見えるが場所が不適切) (D)最後の「但し」以降で出典なき見解を書いている(民間の一宗教法人という現状に対しては、国家の祭祀という立場からの反論も存在している)、などは早急に改善すべきです。ウィキペディアでは、複数の論点が存在しているという事実を淡々と記述すべきであり、複数の論点をどう関連させるべきか、というような出典なき編集者の見解を記述してはいけません。断定調をソフトに緩和すれば良い、というのではなく、そもそも記載すべきでありません。NPOVでは「ウィキペディアの狙いは論争を記述することであり、論争に加わることではありません」「判断を下さない表現が好まれます」などとあります。--Rabit gti(会話) 2014年1月3日 (金) 05:44 (UTC)
- 鈴木直紀さん
まず、ノートでの会話で記述の途中に割り込ませるのは止めて下さい。 どこまでが私の記述で、どこからが貴方の記述か判りません。 キチンとそれが明確になりますように改めて下さい。
- 「高橋哲哉」氏の説明について。普通はもし説明を加えるとしたら主な肩書を付けます。例えば「大江健三郎」氏で云うならば「九条の会を結成した大江健三郎」ではなく「作家の大江健三郎」とするでしょう。
まあ簡単に考えればメディアなどに出演する時にどのようにテロップ紹介されるかが、分かり易い目安でしょうね。 「高橋哲哉」氏の場合、「東大教授(超域文化科学・表象文化論)の」がまあ妥当な説明でしょう。 「九条の会」はメインの活動ではなく、且つ靖国神社問題と直接的な関わりはない。 それを説明に入れるのは明らかに恣意的説明でしょう。肩書が必要ならば「東大教授(超域文化科学・表象文化論)の」と入れるべきです。 よって一旦削除致します。
- >赦免という言葉の意味をご存知ですか?<失礼な書き方ですね。例えば国内法でも赦免・減刑者は前科そのものがなくなる訳ではない。
- *参考 判例 大赦令により赦免され、刑の言渡の効力を失つた前科を量刑当否の判断の資料に供すること等の適否。 - 最高裁判所第二小法廷昭和32(あ)614:決定
- http://thoz.org/hanrei/%E6%9C%80%E9%AB%98%E8%A3%81%E5%88%A4%E6%89%80%E7%AC%AC%E4%BA%8C%E5%B0%8F%E6%B3%95%E5%BB%B7/%E6%98%AD%E5%92%8C32(%E3%81%82)614/1
- >大赦令により赦免されたことに因り、刑の言渡がその効力を失つたということは、法律上の効果の問題であつて、被告人が以前に犯罪により処罰されたという事実そのものは消滅するものではない<
- また衆議院議員野田佳彦氏の質問趣意書にも小泉内閣は>お尋ねの「名誉」及び「回復」の内容が必ずしも明らかではなく、一概にお答えすることは困難である。<と答えている(この記事の出典・脚注の32・33参照)。
- また百科事典という性格上、免責ではなく条約に書かれている様に「赦免・減刑」と記載すべきでしょう。
- >客観的では無い記述だったので修正させて頂きました。恣意的なのは未だにA級戦犯と記述されている事でしょう。<
- 見たところ貴方の記載は、特定の方向性に振って中立的に書こうというのが乏しい様ですので、後ほど確認させていだきます。
上にも述べた通り、戦犯であることそのものは確定事項です。
- >「赦免・減刑はされていますが戦犯であることそのものは確定している」と先に書いて置きながら、後から「赦免・減刑は不可能」と先の記述と全く違うことを書いています。どちらが事実なのでしょうか?<
- 刑の執行が終了していない者については赦免・減刑できますが、全ての刑の執行が終了している者は当然赦免・減刑は不可能です(死刑執行されている者は当然そこに入る)。「赦免・減刑」は刑期の満了者と同じ状態にすることであり、無罪にすることではないのですから。貴方の方が「赦免・減刑」の意味を理解していないのですよ。
- >長い記事ですので、リンクを貼ることは読み手にとって分かり易いさが増すと思います。<
なら「分祀」だけでなく全ての言葉を逐次リンク化させれば?。「分祀」だけ逐次リンク化させる意味が判らない。
- >「高橋哲哉」氏の意見に沿っていて、こちらの表現の仕方が意見に沿っていないと断定されて根拠はなんでしょうか?<
現時点で私は出典を確認しておりませんが、文脈上分祀できるとしている氏が個別廃止を例に出すのはオカシイでしょう。私の修正は、明治期の大量の廃祀といえば神仏分離令によるものしかないのは常識なので、そこに説明がリンクする様に加えただけですよ。それから明治時代の神仏分離は、祭祀・施設・寺社・人員なども含めた総合的なものですので神社自体に留まりせん。そもそも神仏が一体化して習合されていたのですから当たり前でしょう。修正します。
- それから豊国大明神廃祀は勿論京都の本宮はそのままの廃祀ですが、江戸幕府が東照大権現を全国に隈なく祀らせたように、全国の寺社に一緒に祀られていたようです。ですから豊国大明神廃祀としています。分祀できるという主張している高橋哲哉氏は当然これを念頭においているでしょう(そうでなければ文脈上オカシイですから)。これも修正します。
- それから「天皇」を「天皇陛下」に修正していっているようですが、これは百科事典であり「天皇」と云う存在についての記載なのですから、敬称は特に必要ありません。逆に特定の存在のみに敬称を付けるというのは中立的な記載が求められる百科事典の原則から反すると思われます。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 17:28
- みしまるももさん
丁寧な記載ありがとうございます。修正を概ね指示致します。
- 只
- >中国など<
の「など」を削除するのは適切でないと考えます。 この記事の「日本国外の見解」を見れば判るように中国だけではないからです。「など」を復帰させます。
- >近隣諸国との関係が悪化することを、日本と同盟国の米国が懸念を示しているます<
- とありますが、今回米国以外の国も懸念しておりますので、米国に限定するのはどうでしょうか(この記事の「日本国外の見解」参照)。
- みしまるももさんならそれも含めて上手く書けると思いますので、できれば修正をお願いします。
暫く待って修正が無ければ、私が考えます(取り敢えず「など」を加えて置きました)。
- Rabit gtiさん
- 指摘ありがとうございます。
- >単純に「複数の論点ごとに複数の見解がある」と記し、後は出典ある見解を淡々と列挙すべき<
- とのことですが、それだけでは単に資料集になってしまい百科事典と言えるかということです。図書館などで調べ物をする時に使う百科事典は、資料の提示だけでなく解説も重要なはずです。
そうでなければ、普通の人が調べる役に立ちませんですから。勿論解説は恣意的なものではなくきちんと論拠を伴ったものでなくてはなりませんが。オカシナ解説をしていればご指摘下さい。
- また貴方がお示しになったA-Dについてはもっともな所があるので、それを含めてどのように記載するのかご提示下さい。そうすれば具体的にお話が出来ます。それでは宜しくお願いします。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 17:24
再案について
- 124.103.189.249さん、Rabit gtiさんへ
- Rabit gtiさんのご指摘の「Aとの意見があるが、しかしBとの反論もある」の構成がBに有利に誘導されるという懸念の点に関してですが、この場合の冒頭部での「分祀派の意見」と「合祀派の意見」は同等・並列的対照的に記載されていると思いますので、後者に「誘導」にはなっていないと思いますし、最後に「両者の主張を以下に記載する」と書いていますので、どちらにも誘導してないので、その点は大丈夫だと思います。例えば、「Aとの意見があるが、しかしBとの反論もある」のすぐ直下に、よって「Cも成り立つ」みたいな独自見解があればミスリードや誘導になりますが、この場合は単に「両者の代表的見解」を併記して挙げているだけですので大丈夫だと私は思います。
そしてRabit gtiさんの書かれている(A)から(D)のご指摘に関しては、
- まず(A)をクリアするには、冒頭部に日本国内からも合祀反対派がいることを付記すればいいかと思います。
- (B)については、一応ここの項目は「A級戦犯合祀」のところなので、「キリスト教徒や台湾出身者による訴訟問題」として別項として扱う方がいいのではないでしょうか。
- (C)については、「高橋哲哉の反論のための前置き」として、合祀派の主張が書かれていて、高橋哲哉の意見の記述のためには一応必要な記載だと思うので、もう少し語順を変えて、考えてみました。
- (D)については、Rabit gtiさんのおっしゃるように私も最初は独自研究のように感じましたが、「靖国神社は独立した一宗教法人なのでどのような見解で祭祀を行っても自由である」という文言は、信教の自由の点からは独自研究ではありませんので書いても問題ないことだと思います。そして「国が取りうる問題の解決方法」と「一宗教法人の靖国神社」という相容れない関係性は現実的にあると思うので、その問題点の指摘のガイドはあってもいいかなと思い、中立的で独断的な口調にならないように124.103.189.249さんの文章を整理したのですが、ここはもう少し誤解を生じないように記述し直して練り直して記載してみました。
- 以下にRabit gtiさんのご指摘も考慮して、再案の記述を考えてみましたので、見てみてください。何かまたありましたら、言ってください。
- 冒頭部
靖国参拝については、中国や韓国あるいは日本国内の一部からも反対の声があり、第二次世界大戦中の戦争指導者であるA級戦犯が合祀されている所に首相が参拝することを問題視している。そしてそのことにより近隣諸国との関係が悪化することを、日本と同盟国の米国をはじめEU、ロシアなどが懸念を示しているという外交問題がある。これに関連して歴史的な側面から分祀問題を見る論争としては、日本はサンフランシスコ講和条約で国際社会に復帰し、極東軍事裁判の判決をその条約で受け入れているため、A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である、又は天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからだという見解が存在し、故にA級戦犯を分祀するべきという意見がある(但し、韓国はA級戦犯だけではなく靖国神社自体を問題視しているので分祀をしても問題解決にはならないという懸案が残る)。それに対して、その後戦犯は全てサンフランシスコ講和条約11条に則って赦免・減刑されているのだから、A級戦犯者を排除すべきではない、また天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなった理由がA級戦犯の合祀にあるというのはあくまでも憶測であるという反論がある。両者の主張を以下に記載する。
- 高橋哲哉のところ
- まとめの最後の段落
但しこれらの分祀・合祀の論争は、民間の一宗教法人靖国神社がどのような考えであるかを巡っての論争であるため、国が取りうる外交問題の解決方法を探る点においては、決着地が見出せずに混迷している面がある。そして分祀問題を考える際、そもそも分祀そのものが可能なのかという議論になるが、それは分祀するかしないかの議論ではなく、分祀出来るかどうかの神学論争に当たり、政治上の外交問題とは相容れない部分を含む。そして、憲法に保障されているように、靖国神社は独立した一宗教法人なのでどのような見解で祭祀を行っても自由であるという側面もあり、政教分離に関わる憲法問題に対しての解決とは無関係である。
--みしまるもも(会話) 2014年1月3日 (金) 13:12 (UTC)
「天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなった理由がA級戦犯の合祀にあるというのはあくまでも憶測であるという反論がある」については冒頭に載せるべきではないでしょう。理由は、事実として「関連は不明だが以後参拝していない」だけだから、それ以外は不要でしょう。「日本国内の一部からも反対の声」は反対解釈をすれば「大部分は賛成の声」となりかねずその点が問題でしょう。なべて冒頭では反対解釈でも意味が変わらない記述のみをお願いしたいところです。--T34-76(会話) 2014年1月11日 (土) 08:37 (UTC)
- T34-76さんへ
- T34-76さんの指している部分は現在、さんぽーるさんによって全体が出典なしとしてコメントアウトされているようですが、一応、先日その部分の文章全体を皆さんの意向を入れて纏めた私の見解を書いておきます。
- 「天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなった理由がA級戦犯の合祀にあるというのはあくまでも憶測であるという反論がある」という記載は、前掲の「A級戦犯とされた者を顕彰することは歴史修正主義的である、又は天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからだという見解が存在し、故にA級戦犯を分祀するべきという意見がある」という記載と、ある意味で対(ペア)として付随しているものですが、T34-76のおっしゃる「関連は不明だが以後参拝していない」という事実はあるにしても、それが本当にその理由からなのかは、実際のところは憶測の範囲で真実の理由は不明です。そして反論もあることはあるので、前者だけを記載すると、それがあたかも確定事実事項の前提であるかのようなミスリードとなってくる可能性もあるので、一応、反論も存在しているという記載も付随的に併記しておかなければいけないと思います。(もしこの段落全体を残すとすれば)
- あと、「日本国内の一部からも反対の声」は、T34-76のおっしゃるように誤解になるかもしれませんので、「一部から」は消しておいた方がいいかもしれません。その部分は消しておきます。--みしまるもも(会話) 2014年1月11日 (土) 11:29 (UTC)
- 先ずいらぬ労をお賭けした事をお詫びする。補足的に説明すると、A級戦犯は占領中の外国軍隊からのラベリングであり、当該処刑者への日本史的な判断とは一切関係なく、それへの叡慮についても「富田メモ」があるにせよ「不快な理由」は不明といえる。ところで、「天皇が靖国神社へ親拝されなくなったのはA級戦犯が合祀されたからだという見解」と「天皇陛下が靖国神社へ親拝されなくなった理由がA級戦犯の合祀にあるというのはあくまでも憶測」も、ともに「故にA級戦犯を分祀するべきという意見がある」の理由である。その様な議論があるにせよ、天皇家と靖国神社は現在は私的にも制度的にも無関係であり、現在政治問題化している宗教施設の説明で天皇とあたかも何か関係があるかのような説明を冒頭に書くべきではない。が私的見解です。--T34-76(会話) 2014年1月11日 (土) 17:38 (UTC)
- コメントアウトした理由ですが、このような高度に政治的かつ論争的な話題についての文章を執筆するにあたっては、最低限の出典を提示されないことにははじまりません。少し出典を追加しましたが、関連文献の一冊、または新聞記事なども出典としては十分なのですから、出典だけは確保していただきたいです。どう本文で書くかは、まずは出典を補足されたうえで議論されないと、せっかくの議論も編集のための苦労も無駄になってしまいます。関連文献など出典があり、引用なども正確になされていれば削除やコメントアウトの対象にはなりません。出典次第では関連性の薄さなどを指摘される場合もあるかもしれませんが、いま議論されている箇所についての出典でそうした問題はないでしょう。--さんぽーる(会話) 2014年1月12日 (日) 09:45 (UTC)
その経緯に関してはこの記事の別の所に記載されていますので、シンプルに書くべきです。また「所謂」ではなく極東軍事裁判上でのA級戦犯であることそのものは国内外とも確定しています(既に死刑が執行されているため赦免・減刑は不可能。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 04:25
すみません。先ほどの記述と矛盾が生じていますが、大丈夫なのでしょうか?
124.103.189.249さんは、「赦免・減刑はされていますが戦犯であることそのものは確定している」 と先に書いて置きながら、後から
「赦免・減刑は不可能」--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 04:25
と先の記述と全く違うことを書いています。どちらが事実なのでしょうか?どちらにせよ。124.103.189.249さんのどちらかの記述が、虚偽であることが確定的になってしまいますが。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
貴方の方が「赦免・減刑」の意味を理解していないのですよ。124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 17:28
これは、あなたの自身の記述についての質問です。あなたが理解しているか否かなどという質問はしていません。どちらが事実なのかを伺っているのです。 では、「赦免・減刑は不可能」とする記述は誤りであったということで良いですね?
必要あるでしょう。どういった方の意見であるかは重要です。中立的な方ならともかく、どちらかに寄った方の意見であれば、どういった方であるかは前置きしておくことは、中立的な見解であるという誤解を招きます。--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
例えば「大江健三郎」氏で云うならば「九条の会を結成した大江健三郎」ではなく「作家の大江健三郎」とするでしょう。まあ簡単に考えればメディアなどに出演する時にどのようにテロップ紹介されるかが、分かり易い目安でしょうね。 「高橋哲哉」氏の場合、「東大教授(超域文化科学・表象文化論)の」がまあ妥当な説明でしょう。 「九条の会」はメインの活動ではなく、且つ靖国神社問題と直接的な関わりはない。124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 17:28
まず初めに、「九条の会」は、靖国神社を問題視している団体です。従って、「靖国神社問題と直接的な関わりはない。」とする記述は、誤りであると言えます。 次に、「「九条の会」はメインの活動ではなく」ということは、根拠にならないと思います。なぜなら、2014年東京都知事選挙の立候補関連のドクター・中松(本名、中松義郎)の記述に、メインの活動で無いどころか一時的に籍をおいた幸福実現党との関係を、以下の様に象徴的に記述されているからです。
発明家。元幸福実現党特別代表。2014年1月8日、記者会見で無所属での出馬を表明。オリンピック担当副知事の設置・新国立競技場の設計見直し・都民税減税・耐震耐流動化家屋の発明を実用化・渋滞の科学的解消などが公約[27]。
これでは、ドクター・中松(本名、中松義郎)氏が、あたかも幸福の科学の会員であるかの様な印象を与えます。しかし、この件に関しては、現在、Wikiにおいて容認されています。ノートで議論すら提議されていません。
三つ目に、大江健三郎氏の様なノーベル文学賞作家と「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」呼びかけ人の「高橋哲哉」氏の知名度は同じでしょうか?明らかに違いますよね。一般人が、「高橋哲哉」氏と聞いてどんな人物が知っている方がどれだけ居るでしょうか?失礼を承知で書きますが、その数は少数派であると思います。よって、「九条の会・さいたま」呼びかけ人の「高橋哲哉」氏の比較事例として大江健三郎氏は、不適切です。とすれば、「東大教授(超域文化科学・表象文化論)の」では無く、「九条の会」傘下の「九条の会・さいたま」の高橋哲哉 氏とした方が分かり易いのではないでしょうか?それとも、徐京植氏と共に思想雑誌『前夜』を立ち上げた高橋哲哉 氏と言った方が良いでしょうか?或いは、
日本が韓国や北朝鮮に謝罪と賠償をし、植民地支配を反省する世界的な流れをグローバルスタンダードにしようと呼びかけ 「講演会:韓国併合100年 高橋・東大大学院教授、富山で」(『毎日新聞』2010年12月4日付、富山地方版)
ている高橋哲哉 氏にした方が適切でしょうか?
ただ、折衷案として「「九条の会・さいたま」所属の高橋哲哉東大教授」という形であれば、応じます。
高橋哲哉氏の明治の大量廃祀を>明治時代に神仏分離により大量の分離・廃祀<にしました。。--124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 05:13
?「「高橋哲哉」氏の意見に沿った書き方で無ければオカシイです。」と言っておきながら、何故書き換えたのでしょうか?124.103.189.249の改変が「高橋哲哉」氏の意見に沿っていて、こちらの表現の仕方が意見に沿っていないと断定されて根拠はなんでしょうか?--鈴木直紀(会話) 2014年1月3日 (金) 04:39 (UTC)
現時点で私は出典を確認しておりませんが、文脈上分祀できるとしている氏が個別廃止を例に出すのはオカシイでしょう。私の修正は、明治期の大量の廃祀といえば神仏分離令によるものしかないのは常識なので、そこに説明がリンクする様に加えただけですよ。それから明治時代の神仏分離は、祭祀・施設・寺社・人員なども含めた総合的なものですので神社自体に留まりせん。そもそも神仏が一体化して習合されていたのですから当たり前でしょう124.103.189.249 2014年1月3日 (金) 17:28
「(高橋哲哉)氏が個別廃止を例に出すのはオカシイ」だと思うなら、「「高橋哲哉」氏の意見に沿った書き方で無ければオカシイです。」では無く、最初から、その意見を書いて下されば、こちらは異論はなかった様に思います。--鈴木直紀(会話) 2014年2月3日 (月) 05:42 (UTC)
- この節のコメントからリンクが設けられている「前夜 (雑誌)」は、「前夜 (NPO前夜の雑誌)」へ移動されました。また即時削除依頼が提出されていますので、前者は間もなく即時削除されます。--山田晴通(会話) 2014年4月20日 (日) 12:35 (UTC)
天皇陛下の靖国参拝について
富田メモ云々があるかと思いますが、時系列に並べると以下の通りになります。
問題視された主な内容は、以下の答弁から始まりました。
社会党の野田哲氏「いま植木長官はそういうふうに言われますけれども、八月十五日に三木総理が靖国神社へ参拝した。これはいま吉國長官も私的行為だということで強弁されておりますけれども、いかに私的行為だと言っても、あの当時のやはり国民の受けとめ方というか、靖国神社の国家護持を推進しようとする団体は、あの三木総理がいかに私人だと言ったって、総理が靖国神社へ参拝してくれたということをもって靖国神社国家護持の運動は一歩前進をするというふうに団体の機関紙などで評価をしておるんですよ、評価を。恐らく明日の天皇の靖国神社参拝についても、そういう形で取り扱う団体が絶対にないとは保証できないでしょう。これは保証できない。だとするならば、あなた方がどういうふうに理解をされようとも、明らかにこれは政治的に利用されたということになるではないですか。そういう懸念は一切持っていないんですか、政府の方では。どうですか長官。」 (第076回国会内閣委員会第4号 昭和50年(1975年)11月20日参議院の145番目の答弁より引用)
それに対し、富田メモで有名な宮内庁の富田長官が、
と締めくくり、それ以降、天皇陛下が靖国神社に参拝されることは無くなりました。--鈴木直紀(会話) 2014年2月3日 (月) 06:04 (UTC)
以上の記述です。如何でしょうか?--鈴木直紀(会話) 2014年2月4日 (火) 01:38 (UTC)
最後の一文の「天皇参拝」とは「親拝」のことであり、例大祭等に天皇からの勅使参向(これも天皇の参拝に当たる)が続いている点など、皇室との関係がその後も保たれている点の事実関係は補足しておいた方がよいと思います。--Kogane(会話) 2014年2月4日 (火) 08:33 (UTC)
- 旧勅祭社ですから形式的とも言えます(平安神宮でも「勅使参向」はありますから)。これを「天皇の参拝」と同視する行為とまでいえるのかどうか。但し、事実としての記述は「勅祭社」の意義、歴史などの点を踏まえ、評価についても過大でなく事実を淡々と書くことには賛成です。--T34-76(会話) 2014年3月21日 (金) 09:39 (UTC)